アクセスカウンタ

プロフィール

ブログ名
円 天 /波 和二
ブログ紹介
help リーダーに追加 RSS

あかり人生  世間一般篇(その3)

2008/07/04 11:46

「ユダヤ思考」

波 和二は直接ユダヤ教というものを読んだことがありませんが、人からその教えについてのエピソードとか考え方を聞いたことがあります。その教えられた事が正しければ、いまや文明社会に住む人々は限りなくその思考の信奉者といえます。
人生を往く上で、命よりも大切なものはお金である、という考え方です。お金が無くては他人に馬鹿にされて、生きていくことは出来ない。お金を沢山持っていれば他人も自然に自分のところへ集まって来る。
といった考え方がユダヤの教えであると聞き及んでいるわけです。
まず、お金、即ち富を持たぬことには人並みの生活は出来ない、お金がなくては惨めな人生になる、という思考がユダヤ人には共通してあると波 和二は理解しているのですが、ユダヤ教を直接研究したわけではないから正確なところは判りません。
然しながら、それを裏付けるエピソードが歴史上に至るところで見付けることが出来ます。
祖国というものを失って久しいユダヤの人達は世界各国で生きているわけです。祖国を持って先祖代々生活している人種との違いです。
祖国からの恩愛というものを期待していないのです。
だから、まず富まなければ人並みの生活が出来ぬというわけです。
華僑も似たようなところがあります。祖国を見捨てて、自分の力で富を得て生きているわけです。
そのグループの団結力は強いものがあります。
お金は仲間から借りることが出来ますが、返済の約束を破ると仲間から永久追放です。
何はともあれ、愛よりも富を優先させて生きております。
この思考が世界に蔓延して、契約社会を作りあげていったのです。
お金に対するルール違反には、情容赦なく刑罰が下されます。
そこには、愛という思いやりなど無用なのです。
とにかく、「契約通り」なのです。
こんな時代なのです。2008年の「今」は、こんな時代なのです。
義理人情という、本当の愛ある生活の経験がないのです。
「契約社会」なのです。
契約違反だと、国家ですら訴えられる時代なのです。
国民が国家を訴えて、どうするのでしょうか。
子が親を訴えて、当然と考える。その考え方が世界に伝染しているのです。
そこに、「契約」をめぐっての争いが起こり、弁護士の収入も発生することになります。
血も涙も必要ないのです。
「契約」をめぐっての論争が法廷を介在して行われ、勝ち負けが決定されるのです。
「人はパンのみにて生きるに非ず」と諭したキリストの教えは無視され、金銭をめぐっての契約闘争が行われているのです。
これでは世の中は治まるどころか、益々争い事が増える一方です。
70年も昔の、ドイツのナチスとユダヤ商人との問題を思い出します。
純朴で勤勉な国民として知られているドイツにユダヤ商人は住みついて、法律を上手に利用して次々と巨富を築いていったのです。どう取り締ってもユダヤ商人のチエにはナチスも及ばなかったのです。
「このままではドイツはユダヤに奪われる」と強く恐怖を感じたナチスは、有名なビスマルクの議会での演説を契機として、無差別にユダヤ人というユダヤ人を逮捕して、大量の殺戮行為を行ったのです。
「言葉は兵器ではない。議論は軍隊ではない。いざという時には間に合わないのだ!」
もし、その当時のドイツに住んだユダヤ商人に、ドイツの人々のことを思いやる心があれば、もう少し手加減をしたお金儲けが出来たのではないでしょうか。
「契約社会」も図に乗ると思わぬ反撃を喰うことになります。
先物相場に対する投機が過熱して、人類全体の生活のバランスを崩し始めて、高騰によって生活出来なくなった業界が世界各国で暴徒化したり、過激デモを展開しております。
合法なら何をやってもいいのですか!
自分達の投機が世界の人類の生活を脅かすことになっても、契約社会だからいいのでしょうか。
まさに、貪欲は身を滅ぼす!
この歴史の繰り返しなのでしょうか。この三次元世界で生きている生存人間は─。
いまの、生存人間全般に投げかけたい質問です。
情けないとは思いませんか。万物の霊長である生存人間が、人間本来の姿を見失って、お金が命の契約社会を作りあげているのです。
猛獣の世界でも、餌を充分に与えれば温和しいものです。それが天然自然で育てば、餌は自分で取らねば生きていけないのです。
「殺さなければ殺される」
殺風景な動物世界が具現することになります。
万物の霊長である生存人間が、お金が無くては生きていけない政治社会をいつまでも踏襲していくのでしょうか。
かつての生存人間であった、今は魂人間となっている人達の時代とは違うのです。
人間が生きていくための必要なものは、何でも作れる時代を迎えているのです。
それなのに、何故ユダヤ的思考の下で生きていかねばらぬのでしょうか。
何故、契約社会、契約国家の中で庶民は暮らさねばならぬのでしょうか。
波 和二が神仏に代わって代弁した、単行本「円天・波 和二」で通訳している「神仏が創っている人間社会」を、今こそ人類は読むべきであります。
餌は充分に作れる世の中を、先祖代々の魂人間の努力の積み重ねで具現しているのに、何故、旧態依然とした貨幣制度の中で貧富の差を作って、争い事を増やして、地獄の生活を味わわねばならぬのでしょうか。
大衆(人類)の運・不運などというものは、良きリーダーの政治社会で暮らせるか否かに掛かっているのです。
餌代はタップリあげて、守るべき事は守る、思いやりのある人間社会を、世界のトップリーダーが団結すれば作れるところまで、生存人間の社会も進歩している事を、一日も早く政治家は気付いていただきたいものです。
その為には、世界各国に「円天研究会」をまず結成しようではありませんか。


2008年6月12日 午後6時1分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  波 和二篇(その3)

2008/07/02 12:50

「民事裁判」

エルアンドジーグループのリーダーである波 和二は、2007年の或る時期から全ての訴訟裁判を放棄したのでした。裁判に出席しなければ被告側の全面敗訴となることは今の法律では当然の事です。
裁判維持するには、弁護士費用を始めとしたお金が必要です。恐らくその費用は1億円では収まらず、数億円を必要とした事でしょう。
原告側の主張する「金利不払」か、被告側の主張する「役務手当」かを巡っての論争となるのですが、法廷闘争は弁護士同士の争いでもあります。
「役務手当」であるという波 和二側の主張については、1枚が6時間以上の「あかり天国」に於ける研修の模様を収録したVTR46巻の中で、動かぬ証拠として証明出来ます。また、株主社員を率いて何をしようとしていたかも明らかであり、これは積み上げればその厚さだけでも背丈ほどに及ぶ著書やレポートの中でも証明出来ます。
これ等の膨大な量の中から、法廷に必要な資料を取り出し、全国規模の法廷に出向して争うことになるわけですが、VTR46巻×6時間=276時間ですから、観るだけでもこれほどの時間が掛かり、本やレポートだけでも同様の時間が掛かるわけです。
裁判維持をするのに、何人の弁護士を必要とするでしょうか。
また、彼等を波 和二の能力まで到達させねばならぬという至難が待ち受けているのです。
その上、一番大事なことは、裁判に勝っても負けても、被告側にも原告側にも何のメリットも生じないという点です。
そんな方面にお金を使うよりは、「円天市場」に使った方が遥かに原告側もお金を取り戻すチャンスが残されていたのです。
銀座の円天市場さえ死守できれば、全国の街角円天市場も呼応して、単行本「円天・波 和二」で紹介しているような円天市場が出来たのです。
だから、20年も続いていた一人株主の会社、エルアンドジーの出費を零にしてでも、銀座の円天市場を残す努力を最後の最後まで頑張ったのですが、正に刀折れ、矢尽きての事態を迎えたのであります。
「エルアンドジーを倒産させれば、株主社員のお金は戻って来ない」と、何度も何度も原告を始めとした株主社員に訴えていた波 和二の努力は水泡に帰したのでした。
「覆水は再び盆に返らず」
もう、エルアンドジーグループは、波 和二の手を離れて破産管財人の手に移ったのです。
訴訟弁護団も原告も、エルアンドジーと波 和二個人からは一銭も取り立てる事は出来なくなったのです。
好むと好まざるとに関わらず、国法によって「免責」の身となってしまったからです。
今後は破産管財人を相手にして取り立てることになりますが、法律の範囲内での主張です。
破産管財人は、エルアンドジー及び波 和二個人の債権、債務を特定して、取れるものは取り、払うものは取り立てた中から比例配分することになります。
振り返ってみて、波 和二的には精一杯のことはやったと思っております。
どんなリーダーでも、部下がリーダーの命令を理解せずに行動すれば、目的を達成する事は出来ないのです。
波 和二のリーダー振りは、すべての膨大な資料の中から証明されます。
これに対して、組織がどのような考えで動いていたかが、警察の調書によって明らかにされてきます。
これを対比させると、組織の実相が浮かび上がって来ます。
波 和二的には、事業家として精一杯のことはやったと自負しております。
最後の最後まで望みを捨てずに、銀座の円天市場を守り抜こうとして、知人や身内の資金も借りられるだけ借りて討ち死にした状態は、警察の調べで明らかにされることでありましょう。

でも、覆水は再び盆に返らずです。

いま、L&G被害対策弁護団と称するグループメンバーは100名を越えたと聞き及んでいます。
破産、免責の身となった、エルアンドジー及び波 和二から取るものが無くなったわけですから、それこそ屁理屈をこねて、関連した芸能人や学者、それに幹部社員及びGA、CDグループからお金を巻き上げようとしています。
然しながら、被告となった側を弁護するには、波 和二の残した数々の資料やブログ集を理解する必要がありますが、実際問題としてそこまで時間を割ける弁護士を探すことは難しいことでしょう。
「詐欺集団エルアンドジーの資金集めに、承知の上で参加した!」
これが、L&G被害対策弁護団の主張です。
だから、エルアンドジーと波 和二を詐欺罪に追い込む必要があるのです。
詐欺罪を成立させるには、当然、被害者の刑事告訴が必要となります。
被害者とは、株主社員のことです。
波 和二の膨大な資料を分析すれば、加害者と断定することは極めて困難でありましょう。
ましてや、単行本「円天・波 和二」シリーズが世界に出版されると、常識のある者なら、詐欺師に書ける本ではない事を認識されることになります。

ここに、波 和二のあかり人生があるのです。

事業で失敗することは、事業家であれば当然覚悟しておく必要があります。覚悟の上で、失敗の要因を1つ、1つと埋めていって成功へと導いていくわけですが、最悪の事態は覚悟の上の行動であるべきです。
仕事を失敗した時は、リーダーが一番大きな損害を受けるべきです。
船長は船と共に沈まねばならないのです。
リーダー波 和二は、
全財産を失い、
破産者となり、
その上、警察の取り調べを受けております。
詐欺罪が成立すれば懲役刑です。
それに較べて、株主社員の方々の損害はどうでしょうか。
だから、マスコミの取材に対して、
「一番の被害者は波 和二である!」
と、堂々と言っているのです。
L&G被害対策弁護団では、「破産」でもかければ隠してあるお金が出て来るだろう、ぐらいに考えたのかもしれません。
波 和二の本やレポート、46巻のVTRを見れば、波 和二の人格が浮き彫りとなるのですが、そんな努力はする筈はないのです。
個人破産を仕掛けた弁護士もいましたが、強制捜査の末、時計が2個と銅版の絵が1枚押収されただけでした。
「個人財産は何も無い!」と常々言っているのに、原告及び担当弁護士は信用できなかったのでしょう。
いま、警察も隠し金をめぐって必死の捜査を行っているようですが、隠したお金など一銭も無いのです。無いものは如何に警察でも見付ける事は出来ないのです。

精一杯、頑張った事業に失敗した。

これは事実です。
でも詐欺師ではありません。あかり人生を往く波 和二は、世の為人の為になる事業にチャレンジして、諸事情により事業を失敗して、株主社員から預かったお金は無くしましたが、波 和二本人も一番大きく無くしているのです。

でも、株主社員の預かったお金は、これから知的商品を販売して返してあげられると確信しているのです。
波 和二に文句のある人には、いつでも波 和二の命は差し上げるといって、天下の公道を毎日、堂々と歩いているのです。

それが、あかり人生です。

L&G被害対策弁護団が何百人いようとも、波 和二にとっては恐怖の対象とはならないのです。
もし、これ等の人々と争えば、「世界中の人々と仲良くしよう」という生き方に背くことになります。
だから、知的商品で儲けて、請求金額は払ってあげたいと思って毎日を生きているのです。
単行本「円天・波 和二」(1)も、6月20日には第1版が出来上がる予定です。
この本とブログ集は、L&Gグループに関与している方々全員に是非読んでいただきたいものです。


2008年6月11日 午前5時12分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  世間一般篇(その2)

2008/06/30 11:46

「兇悪犯罪」

前科も何もない、ごく平凡に見えた一般人が突然「キレてしまって」他人を殺すという犯罪が増えております。学歴偏向型の文明社会に共通して見られる傾向であります。
恐らく犯行は氷山の一角でありましょう。
かつては義理人情の美徳を誇っていた日本においても、兇悪な殺人行為が増えています。
親が子を殺したり、子が親を殺したり、そんな事は、戦前派の人間からは想像もつかないことです。
歴史家の証言によれば、「国が破れると、その国の良さを取り戻すのに70年は掛かる」といわれております。
日本も、そろそろ70年を迎えようとしているわけです。
戦争を体験しない親が子を産み、その子が孫を産み、その孫にまた子供が出来る。三代に亘って戦争を知らない家系ができ、社会のオピニオンリーダーも殆んどが戦後派の時代を迎えたのです。
「他人の事を思いやる心」即ち、義理人情という日本独特の文化が失われて久しいのです。
犬と猿とを同じ檻の中で育てれば、自然に義理人情が身についてきます。
狭い島国に沢山の日本人が住むことによって戦乱は治まり、義理人情でバランスを取ってきたわけです。
アメリカのような大陸育ちの国民には、義理人情という言葉すらありません。
その殆んどが、「ギブアンドテイク」であります。
祖国を持たぬ人種は、お金が命なのです。
今やこれらの人種の思想が世界中に蔓延しているわけです。
「汝の敵を愛せ!」と説いたキリストの教えを実践するものと、お金が命、お金が全てを実践するものとが地球上に同居して、文明社会を構成しているわけです。
祖国を持たぬもの、祖国に愛を感じないものが急増しているわけです。親ですら殺すものも出て来るのです。まして他人を殺すものが出て来ても何の不思議はないのです。
法治国のいずれかに住んで、その法律に触れなければ何をしても自由である、といった考え方が蔓延しているのです。
人間のチエはどんどん進歩していく中で、法律に触れないお金儲けの方法が絶えず先行して、いつの場合も法律は遅れて出来てくるのです。
そこに経済上の格差ができ、貧富の差が拡がるばかりの政治社会を出現させているのです。
「殺さなければ殺される」「お金がなくては生きていけない」
そこに、相手に対する思いやりという愛が極端に不足して来るわけです。
道徳の大事さを知る者がいくら愛を説いても、「今」を生きる人々は、合法的に生きていくことのやり方を選ぶのです。
合法的に収入を得ることの出来なくなったものは、生きていく為には例え非合法であろうとも、合法であると己を思い込ませて、お金を得るために行動することになります。
人並みの生活をするということは、人並みの学歴を持たねばならぬという事になります。
親は子供の将来の為に、幼児から知識を学ばせねばならなくなります。当然、学費も掛かるわけです。
子供も、勉強、勉強に追われて、友達同志の遊ぶ時間も少なく、この遊びの中で培われてきた義理人情も身につかなくなってしまうのです。
犬と猿が同じ所に居れば、最初は喧嘩するのが当たり前です。でも、段々と折れ合うことを体得していくのです。
子供同志で最初は喧嘩ばかりしていても、段々と折れ合う心、義理人情が生れてくるのです。
義理人情の能力に欠けた親は、この行為をすべて「いじめ」と解釈してしまうのです。
過保護は義理人情が身につかぬ子供を育ててしまうのです。

天皇制を否定する教師からは「愛」を学ぶことは難しいでしょう。
彼等は、日本社会が今日あるのは、「マッカーサー元帥と昭和天皇」とのエピソードのお蔭であるという事実を認知していないのではないでしょうか。
もし、自分が昭和天皇の立場に置かれたら、どんな態度を取っていたか・・・について真剣に考えたのでありましょうか。
「相手の立場に立って、ものを考えてあげる」という行為が極端に欠如しているのが、現代の文明社会であります。
「相手の立場に立って物を考える」この習慣を人類は取り戻すことが必要不可欠なのです。
それには、幼児からそのような躾が必要です。
教えるということは、出来ない人には無理なのです。
子を持つ親は、まず自分が「相手の立場に立って考える」習慣を身につける努力をすべきなのです。
誰でも人間は仕合せな人生を死神のお迎えの時間まで送りたいのです。
兇悪犯に、「相手のことを思いやる」気持ちがあれば、恐らく犯行は無かったのではないでしょうか。
「自分が正しい!相手が悪い!」
と短絡に行動する習慣を改めて、相手の立場になって考えてあげる習慣をつけることが、今を生きる生存人間には必要なことだと思うのですが、読者の皆様方は如何でしょう。

世界の投機熱が、一般社会の人々の生活を益々苦しめております。
もし、これ等の投資家が、自分達の利益の蔭で沢山の人類が苦しむことを思いやった時、それでも投資を続けるのでしょうか。
ニューヨーク商品取引所に始まる先物相場熱が過熱し、世界の庶民の生活に強い影響を及ぼし出している事はマスコミ報道等によって周知の事実です。
合法的だから、何をやっても構わない!
悪ければ政治が取り締まればいいじゃないか!
恐らく、こんな思いで先物相場を運営しているのでありましょうか。
いずれ、この方面にも政治のメスが入るでしょうが、それまでには時間が掛かります。
一事が万事、この調子です。
裁判維持をするためにもお金が必要です。お金が無くては民事裁判は維持できないのです。裁判維持のお金さえ充分あれば勝訴出来るのに、お金の問題で泣き寝入りしている企業や個人も沢山いるはずです。
「衣食足りて礼節を知る」とは不朽の名言であります。
だから、全人類を億万長者にしてあげてから、守るべき事は守らせる世の中に創り変えていく必要があるのです。
人類からお金の問題を解決してあげれば、先祖に祖国を持つ国民も持たぬ国民も例外なく愛が復活して、「思いやり溢れた人間社会」を築き上げることが出来るのです。
これが物心両面教であります。


2008年6月10日 午後4時10分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  波 和二篇(その2)

2008/06/27 11:47

「L&Gの究極の物販ビジネス」

覆水は再び盆に返らずといいますが、それにしても惜しい事をしたものだと、つくづく想っています。
◎○□作戦が、トヨタを今日あらしめた古典的な神谷正太郎に始まって、日本生命、メアリーケイに続いて、マルチ商法が個人のもつ信用力、即ち○に目をつけて、その連結方法を考え出し、それが日本に於いても未だに根強く残っております。
史上最強の販売集団作りを目指して設立したL&Gの20年の歴史は、正に◎○□作戦の進歩型であり、その時代時代ではその最先端を往くものであり、それが究極のあかり会員制度の完成を目前にしながら、核となる営業社員、CD、GAの理解を得られぬままに、円天市場に想いを残しつつ崩壊してしまったのであります。
それこそ、死んだ子の年を数える愚痴であり、今更L&Gの究極のビジネスの再現は、リーダー波 和二を失った今となっては不可能となりました。
売上の50%を仕入と経費に廻しながら、年々その売上を倍々に伸ばしていくことは、円天加盟店の25%の募集権をベースとすれば、超簡単なことだったのです。
25%の日本円貸付資金さえ確保出来ていれば・・・。円天市場にL&Gが提供する商品さえ揃えることが出来れば・・・。
あかり会員のコネのエネルギーの活用によって、会員の数を年々倍々に増やしていく事など超簡単なことだったのです。
L&Gの究極の物販ビジネスを支える心臓部門であった、波 和二の100%子会社のデジタルウェーブにも強制捜査が入り、すべてのデータが灰燼と化してしまったのです。
この損害は計り知れないものであります。L&Gグループを支えることになっていた知的財産が、国家権力の先端をゆく警察力によって完全に打毀されてしまったのです。
この時点で、
「・・・だから素晴らしい!」という心境には中々なれるものではありません。
当時のマスコミに対して、またL&Gの株主社員の思想を全く理解せぬごく一部の株主社員による告訴、それを助長するL&G被害対策弁護団、破産手続を取った裁判所、そして強制捜査という名目の打毀し行為の警察、LGワールド・あかり天国作りの思想に応じきれなかった現金収入に目が眩んだ一部の営業社員、GA、CD達・・・。
あれもこれも「相手が悪い!」と考える時、波 和二の心にはくらやみの感情が結集して、そのまま行動すれば間違いなく一般世間の人々と同じ道を辿っていた筈です。
それにしても、
「勿体ない事をしたものです。」

あかり人生を往く波 和二は、あれから8ヶ月という時間が経過した中で、全く違った人生を歩んでいます。
それが結果となった単行本「円天・波 和二」(1)です。
(1)とは、(2)があるという事です。場合によっては(3)も出てくる可能性があるという事です。
ここ3年位の間というものは、想定外の諸問題が次々と発生して、その解決の為に波 和二の全身全霊を注入して参りましたが、遂にはマスコミの風評には抗し切れず、また、警察の介入、民事裁判の判決によって、遂にエルアンドジーグループは倒産に追い込まれてしまったのです。その原因は、ほんの一握りの株主社員の訴訟から始まったのでした。
マッチ一本が大火事となってしまったのです。
このマッチ一本を営業幹部が消し止めていれば、今頃は日本でも注目に値する販売集団を作っていたでしょう。ただし、単行本「円天・波 和二」は出版されることが無かったと思います。
倒産に追い込まれたからこそ、歴史に残る単行本「円天・波 和二」シリーズが世の中に出版されることになったのは間違いのない事実であります。
局部的に見れば、エルアンドジーグループの方々には大変迷惑をお掛けする結末を演出してしまいましたが、人類全般から見れば、単行本の出版の方が較べものにならないほどの貢献度であります。
一般的には、エルアンドジーグループの方々には金銭的な迷惑をお掛けすることになりましたが、長い目で見れば「人類すべて億万長者」にする方が、お金の問題に関して解決することになります。
もし、この単行本が世界規模で売れなければ、人類の自殺行為に繋がるものです。
早いか、遅いかの時間差があっても、「雨が降り出せば傘が売れる」のと同じことであります。
お金を抑えつける政治社会は、益々雲行きが怪しくなって参りました。
この対策は、「神仏の創っている人間社会」をそっくり真似ること以外に方法はないと思います。
とにかくも、単行本(1)を書き終わり、出版の準備中です。
6月下旬には日本語版で発売予定です。それから3、4ヶ月遅れて英語版も出ます。韓国語版もそのレベルで出版されます。
この単行本はインターネットを拠点として、世界各国に発売されていく予定です。
とは言え、波 和二は破産によってお金は持っていませんから、出版の為に関係者に協力して頂いております。
読者の中から円天研究会が誕生し、これ等の方々の尽力によって、世界各国の普及に拍車が掛かっていく筈です。
このブログにアクセスしている読者の方々も、人類の生存人間の為に普及に協力して下さることを期待しております。
ご覧になれば、納得ゆくことと思いますが、「神仏の創っている人間社会」の情景など人間の創作で書ける筈はないのです。
然も、無学な一介の75才にもなった老人が創作出来る筈はないのです。

「原油高、世界悲鳴」
2008年6月8日の朝日新聞の一面トップの見出しであります。これを読むと如何に超近視眼の大衆もポツリポツリと降り出した雨からやがて大雨になる気配を感じるのではないでしょうか。
世界のお金が暴れ出したのです。
投機熱を世界の政治家が誰一人として抑える事が出来なくなってしまったのです。
世界的な混乱に、主要国の首脳も動き始めた、と書いてあります。
原油高騰問題、温暖化対策、食糧危機は、投機熱を放置しておけば益々過激化して、一般大衆の生活にまで直接波及してきます。
世界の政治家達も、これをどのようにして抑えるかという即効の応急手当の域を出ていないようです。
中東戦争に端を発した原油高は、1973年から今日まで石油価格を上げ続けて、それを必死に抑えに抑えてきたのですが、先物相場への投機熱がその値上がりに拍車を掛けているのです。1バレル=140ドル。1年前の2倍、この2ヶ月だけでも4割増と、上げ足は急速だと書いてあります。
世界のお金が暴れ出したのです。
今こそ、世界の政治家に単行本「円天・波 和二」(1)による知識が必要とされるのです。
デモ暴徒化。マグロ休漁。航空・車リストラ。
新聞記事から世界人類の悲鳴が聞こえてきそうです。
明日は我が身かも知れません。


2008年6月9日 午前1時18分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  世間一般篇(その1)

2008/06/25 11:50

「L&G被害対策弁護団」

まず、この文章を読んでみて下さい。

2008年5月27日に出された文章です。勿論、L&G被害対策弁護団のものです。
近頃、当弁護団弁護士の名を騙った者から、エルアンドジーの被害者に対し「被害金が70%〜80%戻って来る。着手金1人あたり30万円を払え。」といった内容の電話が多発しています。しかしながら当弁護団からそのような架電をすることは絶対にありませんし、通常弁護士からそのような勧誘がなされることもありません。そのような電話があった場合には相手にせず、至急最寄りの警察に届け出るように対応して下さい。
(以上 本文のまま)

これと同じような内容のものが、L&Gの破産管財人の名を騙って行われているようです。
「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」の類は、抑えても抑えても、抑えられるどころか多発しているのです。
その手口は益々巧妙化していくばかりであります。
これ等の者は、どうしてリストを入手したのでしょうか。
また、L&Gの幹部クラスにも怪文書が送られてきております。
これ等のリストをどう入手するのでしょうか。

■「内部告発」を歓迎します。幹部の発言ビデオや録音テープなどの重要な証拠などあれば、ぜひ上記宛にお送りくだされば幸いです。
(上記)
〒102-0083
東京都千代田区麹町4丁目4番地8
地引第2ビル407号
リンク法律事務所
L&G被害対策弁護団
弁護団 副団長 弁護士 紀藤 正樹

これ等の弁護団の方々は、波 和二のあかり天国での講演VTR全46巻をご覧いただいたのでしょうか。1枚が6時間を超えて、2日間の映像があるものです。
これこそ動かぬ証拠です。それと著書、レポート等をご覧いただけたのでしょうか。背丈ほどの容量です。
これをご覧になれば、株主社員に対する「役務」について明確に申し上げており、決して金利配当の会社ではないことが明らかであります。
何故、裁判に出席しなかったかにつきましては、波 和二篇で申し上げます。

一方、携帯電話の発展に比例して、メールを媒体とした違法行為も益々激増しております。
どうして、波 和二のメールアドレスを知るのか、放置しておけば一日に100通を超えるメールが入って来ます。
読者の皆様方も体験済みのことかと思います。
かつての「メル友」のように、使用回数による収益を狙ったものが益々巧妙化していく一方です。
メールアドレスを変えればいいのですが、それを仲間に知らせるのも面倒なので、迷惑メールはその都度「ゴミ箱に捨てる」という方法で対応しているのですが、中には同じ内容のメールを、差出人がアドレスを変えて送ってくるものもあります。
ゴミ箱に捨てたメールの一部を紹介してみます。
(1)露出とか好きなんですけど大丈夫ですか???奉仕好きのドMです。***アドレス***
写メ見て大丈夫なら返事下さい。
(2)めぐみさんから新着メールが1件届いておりますので転送致します。
***アドレス***
「携番送ります」電話下さい。
(3)物質的に満たされても、その熟れた身体が満たされない・・・そんなセレブな人妻が大集合!貴方の目でお確かめください。***アドレス***
今回特別に、ご主人が会社を経営している本物セレブ「里美さん・36歳」を優先ご紹介!お相手が決まり次第、または1週間で受付は締め切りますので、お早めにどうぞ!
***アドレス***
(4)女の子にリードされるなんて初めての体験! ***アドレス***
会ってホテルへ導いてくれたのは女の子のほうでした。***アドレス***
最初からヤリ目的で会ってるから女の子も欲望に真直ぐなんですね! ***アドレス***
女の子と知り合うきっかけが曖昧だと駆け引きが面倒だけど***アドレス***
最初からお互いの目的がハッキリしているから楽だし話も早い! ***アドレス***
もっと早く始めていればよかったです。(幹夫/会社員) ***アドレス***
(5)本当に逢ってもらえますか? ***アドレス***
冷やかしばかりなんで・・・本当に大丈夫なら気軽に電話してもらってもいいですか?みさとの携帯の番号見れるようになっているから。
(6)夫が海外赴任中なのでいつも時間を持て余している専業主婦です。子供もいないのでちょっと寂しいかな。既婚の方、未婚の方、容姿年齢など問いませんから割切って遊びませんか。 ***アドレス***
ところで、今週時間ありませんか?
   久美子
(7)大人の肉体関係専門コミュニティー!お金と暇を持つ奥様が高級車に乗って逆ナン逆○助!! ***アドレス***
お金持ちとの出会い専用***アドレス***
当サイトは裕福で割切った肉体関係を求めている人妻、熟女が集まる日本最大の肉体関係コミュニティーサイトです。
(ご利用に関してのご注意)
(1)大人の礼儀を持って失礼の無いようお願い致します。
(2)男女共にお相手に要求する事は割切った肉体関係のみです。
(3)ホテル代等に関してはお互いで決めて下さい。***アドレス***
※18才未満のご利用は禁止しています。
(8) ***アドレス***写メ見て大丈夫だったら電話番号載せてるんで電話ください♪
麻奈美
(9)セフレ希望!割り切りで良いから付き合ってください。仕事帰りにデートしませんか?主人以外の人としてみたくてデート代出します。***アドレス***
(10)彼方が望むことならなんでもします・・・***アドレス***
宜しくお願いします。
(11)30代〜40代 完全セッ○ス目的!!やりまくり!
***アドレス***
当サイトは30代〜50代の肉体関係を求めている人妻、熟女、勿論独身女性もいます!処女喪失希望者有。***アドレス***
(12)あなた自身にあった女性を下の質問で真面目に答えてください。
必ずあなたに合った女性をこちらから紹介させていただきます。***アドレス***
(13)始めまして、みさきって言います。某大学病院の看護婦です。
実はね・・・みさき性癖があるの!!32歳になってまだ独身。嫌いにならない???一応勤務中の写メも載せておくね。***アドレス***
この仕事やっているとストレスの連続!!で、みさきの性癖は空いている病室でドキドキしながらオナニーしないとおかしくなっちゃうの・・・制服のまま犯されたい!!
みさきの夢、叶えてくれますか?お礼は勿論致します。秘密厳守できる方ご連絡お待ちしております。***アドレス***

***アドレス***と書いてあるところをクリックすると、様々の具体的なものが出てきます。このような行為を警察は取締っている傾向も視えますが、モグラ叩きのようなものです。駐車違反の取締りのようなものです。どんなに非道い内容か、アドレスを書きましたので、興味のある方はクリックしてみて下さい。但し、クリックすれば今後はあなたのメールアドレスにこの種のメールがいくらでも入って来ることは覚悟してください。http://www.nonstoplady-route77.com/dukusni/
情報システムが益々発展していく世の中で、検挙覚悟のこの種の違法行為が益々増え続けていくことでありましょう。
TVニュース、新聞の三面記事欄には、犯罪、違法行為が溢れております。
厳罰をもって臨むのでしょうか。
それで、抑えきることが出来るのでしょうか。
世界をリードする政治家の方々は、抑える事だけではもはや人類を仕合せにしていく事に限界がある事に気付いていただきたいのです。
然も、分析すればその殆んどが、現在の通貨制度によるお金不足が原因となっているのです。
「人類すべて億万長者」の政治社会の事も念頭に入れて、生存人間を仕合せにしてあげて欲しいのです。
人類は、まだまだ波 和二程度のあかり人生を体験できる程の感情操作やプライド強化の能力を身につけるには程遠いのです。だから、取り敢えずお金の問題だけでも解決してあげて欲しいのです。
とは言っても、単行本「円天・波 和二」はこの文章を書いている時点では発売されていないのです。


2008年6月8日 午前6時29分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  波 和二篇(その1)

2008/06/23 11:46

「覆水は再び盆に返らず」

2008年6月6日午前6時4分─これが今の時刻です。
この時点で、波 和二は日本国の社会でどのような立場にあるか分析してみましょう。
2007年10月3日の警察による強制捜査に始まって、波 和二の一人株主の会社、株式会社エル・アンド・ジー及び波 和二個人の破産手続の開始によって、エルアンドジーグループ及び波 和二の事業家としての活動は完全にストップさせられたのです。
その代価として、エルアンドジー及び波 和二に関する債権、債務は「免責」されたわけであります。
法治国日本に生きる国民は、法の決定に対しては背くことは出来ません。
国家が破産管財人を立てて、エルアンドジーグループ及び波 和二個人の整理を引き受けてくれた訳です。
もし、波 和二がエルアンドジーグループの本業に対して、万策尽きて困り果てているのであれば、これこそ天の救いと映ったことでありましょうが、波 和二的にはこれから正に大飛躍する機であったのです。
この事は、38年間に亘って書いて来た書物とか、レポート及び46巻のDVDの中で証明できると思いますが、DVD1枚だけでも6時間の内容ですから、それと背丈ほどにも及ぶ書物とレポートを克明に読んでくれる人など居る筈もなく、ごく皮相的な裁判結果から、遂に「破産→免責処分」と法人及び個人がなった次第です。
「覆水は再び盆に返らず」で、代表取締役の時代は過ぎて、破産管財人が権限を持って債権と債務を決定し、取り立てるものは取り立て、集まったお金を債権者に比例配分することになります。
専門筋の見解によれば、恐らく5年以上は掛かるであろうと予測しております。
そんな次第で、波 和二に1日24時間という時間を事業に充当する事が出来ない日々が今日まで続き、これからも続いていくことになります。
現在、警察は出資法違反容疑で強制捜査に入り、任意で月2〜3回のペースで取り調べを受けておりますが、詐欺事件に該当するか否かについても視野に入れているようです。調書はすでに28回分も出来上がっているのですが、まだ10年前のものばかりです。これからどれ程の調書が出来上がるのでしょうか。これは済んでしまった事ですから、そこからは何ら建設的なものは生れてきません。
それは警察が調べて、勝手に判断することです。
それに対して、波 和二がくらやみの感情に囚われて問答していたのでは、毎日毎日やって来る「今」という24時間をただ送っているだけの結果となります。
「今」を生きるということは、「今」に生き甲斐を見付けて生きるということです。
何事が発生しても、「・・・だから素晴らしい!」と生きていくのが「あかり人生」です。波 和二の天命とするものです。
2007年10月10日以来、毎日毎日やって来る「今」を使ってブログを書き始めました。それが相当の量に貯まっております。
その間に単行本「円天・波 和二」を書き終わり、2008年6月下旬には、まず日本語版で出版されます。
英語版は秋頃になる予定です。
本の売れ具合に応じて、世界各国に翻訳して出版していきます。
この本は売れます!
人間が望みながらも、誰一人として考えつく事の出来なかった内容を克明に書いてあります。
この本の読者の脳裡には、「人類すべて億万長者」の絵が浮かび上がってくる筈です。
人間に浮かばぬ絵はこの世に取り出せないのです。
反対に浮かんだ絵は取り出せるのです。
この本が世界に普及していくのにどれほどの時間が掛かるかは、全く未知です。
然しながら、歴史に残る貴重な本であることは間違いありません。
それも、日本人が書いた本です。最初にこの本を日本人が読むのです。
あとは、日本人の資質の問題です。
いま、「円天・波 和二」は皮相的なマスコミ報道に端を発して、日本の人々に悪名を轟かせておりますが、この単行本を見る人が見れば、先入観の悪名は消し飛んでいくことでありましょう。これ等の人々は、ブログ集にも興味を抱いて読むことでありましょう。
口コミで世界各国から本の注文やブログ集の注文がやって来ることでありましょう。これからの知的商品の販売は、インターネットの時代を迎えるわけです。世界にインターネット販売を主体として、円天・波 和二シリーズは出回っていきます。
竹の子でも、季節に先がけて取ろうとすれば苦労しますが、時季を待てば楽に取れるのと同じことで、単行本「円天・波 和二」及びブログ集「円天・波 和二」も、慌てなくても時期が来れば爆発的に大ヒットすることは間違いないのです。
雨が降る前からは傘を買う人が少なくても、雨が降り出せば買う人が殺到するのと同じことです。
今の抑える一辺倒の政治社会は、必ず行き詰ります。その現象が広く人類を襲うようになれば、いやでも単行本の通りの政治社会を人類が求めるようになります。
それが何年後にやって来るかだけです。
少なくとも、今の抑える一辺倒の政治社会では、争い事が増加する一方です。
一般社会を生きる人々の中で、波 和二と同じ境遇に置かれて、これだけの仕事を何人の人が出来るでしょうか。
マスコミを恨み、警察を恨み、告訴した原告を恨み、L&G被害対策弁護団を恨んでいたのでは、それにエネルギーを取られて、ブログも単行本も書く気にはなれなかった筈です。
多くの人々に対して加害意識があれば、ましてお金でも隠しておれば、天下の公道を堂々と歩ける筈はないのです。
波 和二の20年間に残した事業に対する著書やレポート集、そしてVTRを見れば、如何に壮大なロマン溢れる仕事に挑んでいたか理解できる筈です。
でも、それをいくら本に書き、裁判で訴え、警察で論争しても、エルアンドジーグループに関するものは「覆水は再び盆に返らず」です。
とにかく単行本「円天・波 和二」を世に出す事が出来て、ほっとしているわけです。
今は魂人間となってしまった先祖や両親、兄弟にも大きな顔をして会える気分です。
死神は様々に姿を変えて、生存人間を魂人間の世界へと迎えにやって来ます。死神がいないと、この世の中は人間だらけになってしまうのです。死神を恐れるのは、明らかにくらやみの感情とあかりの感情を整理出来ずに生きている一般社会の人々である証明です。
この単行本の売上は相当の金額になって累積されてくることでしょう。これが、神仏からの代弁料、通訳料なのです。
「免責」された波 和二個人では使いきれる額ではありません。だから破産管財人に寄付しようと思っているのです。


2008年6月6日 午前7時21分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  基本篇(その7)

2008/06/20 11:53

「覆水は再び盆に返らず」  「人生七転八起」

人生には、再びやり直しが利かないものと、例え失敗したとしても、それをバネにして成功していくものとの2つに分けることが出来ます。
たとえば相手が死亡してしまえば、もう二度と相手とは付き合えなくなります。「覆水は再び盆に返らず」の代表的なものです。時間についても同じことがいえます。今日という日は永遠に戻って来ないのです。過ぎ去った時間を取り戻して、改めて違うやり方をする事は出来ないのです。
「人生七転八起」とは、失敗しても失敗しても挫けることなく生きていくことです。
エジソンは白熱電灯を作るのに、1万回以上も失敗を繰り返しながら、成功しています。
スポーツ界のチャンピオンのエピソードの中にも視えます。
実業界の成功者の中にもエピソードがあります。
67億人からいる人間の一人一人にも、「覆水は再び盆に返らず」の出来事や、「人生七転八起」の出来事が絶えず時間の経過の中で起こって、それぞれの人間ドラマを作っているわけです。
「心が変われば人生も変わる」これは誰の胸にもジーンと来る名言でありましょう。
人間と生れてきたからには、誰にでも遺伝子として2つの種類の感情を持っているわけです。この感情を、心次第で使い分けて生きているわけです。
あかり人生とは、この2種類の感情操作法を身につけるということです。くらやみの感情が発生している時は行動せずに、あかりの感情が回復してから行動するという能力を身につけることです。
「自分は正しい。相手が悪い。」この感情のままに行動すれば、必ず両者がくらやみの世界に巻き込まれてしまうのです。
両者がくらやみの感情になったり、あかりの感情になったりしながら生きていくということは、喜怒哀楽を味わいながら生きていくということです。
俗に言う、夫婦喧嘩は犬でも喰わぬという類のくらやみの感情も、愛というあかりの感情の中でなら刺激剤の役割を果たすことになりますが、あまりにもくらやみの感情が強すぎると、愛の戻る暇もないままに気が付けば離婚ということにも繋がります。
世間一般には、この類の争い事が至る所に充満しているわけです。
「売り言葉に、買い言葉」的な生き方を止めて、あかり人生を生きていく方が、同じ環境の中でも遥かに仕合せな人生を送ることが出来るのです。
「転ばぬ先の杖」という教えもありますが、転んでしまっては、杖は必要ないのです。
水の入ったコップを倒しそうな子供に注意を与えても、コップを倒してしまってからでは遅いのです。
「だから注意したじゃないの!」と叱るよりも、黙って水を拭くなり、壊れたガラス片を拾ってあげる方が、子供にとっては効果が出てきます。
あかり人生を往くということは、自分の言動が相手のくらやみの感情を増幅させるような事のないように注意することも必要です。
例えば、友達と待ち合わせをしていて、約束を破られた時には、一般的にくらやみの感情が自分に発生しますが、そのままだと、
「どうして約束破ったのよ! この前の時もそうだったじゃないの。もう貴方とは付き合い切れないよ!」
こんな調子の言葉が飛び出しそうです。
あかりの感情が回復していると、
「貴方ほどの人が約束を破って連絡もないということは、余程大変なことでも起こったんじゃないの。私に出来ることがあれば何でも手伝うよ。」
と連絡すればどうでしょうか。
「出がけに子供が転んで怪我をして、救急車を呼んで病院にいるの。いまそれを貴方に連絡しようとしていたのよ。済みません。」
との答えが返ってくるかも知れないのです。
「覆水は再び盆に返らず」です。約束を破られた事は、もう取り戻しが利かないのです。
そこからの行動で、あかり人生と一般人生の違いが出て来るのです。
あかり人生を極めて行くと、自分のことよりも相手の事の方をごく自然に気遣うようになって来るのです。
恋人に振られたからといってストーカー行為をやったり、復讐行動をするのは、くらやみの感情が発生しているからです。
「自分よりいい相手が見付かったんだな。あんなに素敵な女性だもの、無理もないよ。俺も頑張ろう。」
とは、中々思えないのでありましょう。
デート中に、
「自分はあなたを仕合せにすることは出来ないが、あなたといると僕は最高に仕合せですよ。僕だけこんないい思いをしてご免ね。僕も努力するから何でも言ってね。」
こんな言葉は間違っても出て来ないのでしょう。
「心が変われば人生も変わるのです。」
女性はいくらでもいるのです。それこそ星の数ほどいるのです。「求めよ!さらば与えられん」です。
自分自身の人生に希望とロマンを持てなければ、相手を愛のエネルギーで包み込んであげるような気分にはなれない筈です。
自己愛を中心に生きる人には、自己愛を中心に生きる人々が集まってきて、それがくらやみとあかりのドラマを演出することになります。
取り戻せないもの。取り戻せるもの。取り戻せないものは諦めて、取り戻せるものは取り戻すための努力はしなければなりません。但し、あかりの感情だけで行動するのです。
くらやみの感情が発生してくるのを無理に抑える必要がないのです。ただ、くらやみの感情が鎮火しない状態のままで相手に会うことは避けるべきです。
会えば相手のくらやみの焔が自分にも移って、再び燃え盛って来ることになります。気がつけば取り返しのつかない事態を引き起こしているわけです。
だから、あかりの感情が回復してから会えばいいのです。
感情操作の初歩です。基本的初歩です。
「くらやみの感情が発生している時は行動せず、あかりの感情が回復してから行動する」べきなのです。
勿論、どの道を歩もうとも、本人の自由です。これが本人の運命であります。運命はどの道でも歩めるのです。但し、宿命はそうはいかないだけです。
済んでしまった事は、再び戻すことは出来ないのです。
取り戻そうとするから、くらやみの感情が湧いてくる仕組みとなっているわけです。
庶民は、気の合う人同志で、時間の中で人生を楽しんでいればいいのです。
他人の悪口ばかり言っている人達とは、出来るだけ深い付き合いは避けるべきです。
花には蝶が舞い、う○こには蝿が集まるのです。


2008年6月3日 午前5時34分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  基本篇(その6)

2008/06/18 11:45

「あかり人生と一般人生」

一般人生を往くのなら、今のままの生活をしていればいいのです。喜怒哀楽の人生です。
法律の力を上手に自分の味方につけて、生存人間の運命を味わって、死神のお迎えを恐れながらも、或る時は楽しく、或る時は怒り狂って、或る時は不平不満で行動していればいいのです。
従って、良きリーダーが現われて、戦争もない平和な世の中で暮らせたら納得です。
一般人生を往く人々は、良きリーダーの下で暮らせるか否かによって生活は変わって来るのです。それが運、不運を決めることになります。
魂人間の努力によって、生存人間は発展した文明社会に住み、総選挙によって政治家というリーダーを選べる社会を築き上げているわけです。
この政治家が政権をめぐって喧嘩ばかりされていたのでは国民も堪らないのですが、そうかといって国民にも良いチエが湧かないのが、生存人間の本音ではないでしょうか。
そんな時代に「神仏が創っている人間社会」の単行本が発売されたのです。
これを生存人間がどう解釈し、どう受け止めるのでしょうか。
どう扱おうとも、生存人間の自由であり、勝手です。
どんな世の中であれ、生存人間はその環境の中を、死神のお迎えが来るまで生きていくわけです。
どんな悪い環境にあっても、一般人間のように不平不満を言わないで結構楽しく生きていけるのは、あかり人生なのです。
一般人生を選ぶか、あかり人生を選ぶか、67億人の生存人間の勝手であります。
波 和二はあかり人生を選んで生きているわけです。
どちらが良いのかは、問題の発生した時点では判別出来ませんが、やがて時間の経過がその答えを出してくれます。
波 和二の人生にも、振り返ってみますと様々な問題が発生しております。あかり人生に徹し出したのは、長男を授かったのが契機ですから、38年前のことです。
75才から38年を引くと、37年間は一般人生を歩んでいたことになります。
だから、あかり人生で出合った問題も、一般人生の時のように解決することも出来たのです。
即ち、あかり人生と一般人生の両方が見えるのです。
一般人生での問題解決には、どうしてもくらやみの感情が入ってきます。それを力と力の争いで解決してきたのです。
だから、友達もいれば敵もいたわけです。
幸い、強敵に出合う事もなく、38才まで生きてこれたのです。
それ以来は、あかり人生にチャレンジしたのですから、敵は居なくなったのです。相手が波 和二を敵と思うことがあっても、波 和二の心の中からは敵は誰もいなくなったのです。
今では、真から「世界中の人々と仲良くしよう!」と思って、死神が迎えに来るまで生き甲斐を感じて、楽しく「今」を過ごしているのです。
いまでは、死神とも仲良く付き合える気分です。

「あかり人生シリーズについて」

恐らくこのシリーズは、波 和二のペンが動く間は書き続けていく事になります。これこそ波 和二の天命であるからです。
「人類すべて億万長者」の話は、単行本で紹介しましたから、有権者が総選挙で円天研究会に所属する政治家を選出すれば可能です。
可能とは、生存人間の社会も神仏が創っている人間社会とそっくりの政治社会を作ることが可能であるということです。
ここまで克明に通訳したのですから、後は世界の政治家が勉強して、政治力を使って具現していけばいいだけです。
大衆の要求するものは必ず具現する世の中が、三次元世界といえます。歴代の魂人間が、かつて生存人間だった時代から、歴史が証明しているのです。
要は、これだけ克明に描写した「億万長者の生活」を人類がどれほどの強さで望むかに掛かっているだけです。
円天・波 和二シリーズは、物心両面の教えを説くものであり、物に関しては「円天を介在させた神仏の創っている人間社会」を紹介することによって、波 和二は役割の80%以上を果たせたと思っております。
後は、この知的商品がどれだけの生存人間に読まれるかということです。そこから当然、神仏からの通訳料が振り込まれてきます。
その額はどれほどの額になるかは、時間がその結果を運んで来ることになります。

心の面は、あかり人生シリーズで説いていくことになりますが、
(1)基本篇
(2)波 和二篇
(3)世間一般篇
の、以上3つの部門から説いていくことになります。
(1)基本篇は、あかり人生に対する考え方を説いたものです。
(2)波 和二篇は(1)の応用篇であり、波 和二が実際に体験した問題について解説したものです。
(3)世間一般篇は、波 和二以外の、生存中の人間に発生した問題の処理法についてであります。もし、波 和二が当事者であるならば、同じ問題でもこのように処理したのに・・・という、誠に当事者には申し訳ないと思うのですが、あかり人生ならこういう方法もあったと波 和二の考えを述べたものです。

我々は例外なく、魂人間となって四次元世界へと旅立つことになるのですが、次々と生存人間が生れて来るわけです。
その連中が、波 和二の「あかり人生シリーズ」を読んで、人生の参考になる事も沢山あると思うのです。
月、水、金に掲載されているブログは、無料で読むことは可能です。
然しながら、まだ依然として印刷された文字も貴重であります。
ブログ集と単行本は有料です。
読者は、読む価値ありと思えば読むことでありましょう。
それは波 和二が決める事ではなく、生存人間が勝手に決めることです。
あかり人生とは、まず世界中の人々が仕合せになれる事を大目標として、死神のお迎えが来るまで、この三次元世界を楽しく生き甲斐を自分の心の中に持って生きていくということです。
だから、どんな相手にも愛を持って、敵は存在しない生涯を送るということです。


2008年6月1日 午前8時
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  基本篇(その5)

2008/06/16 11:46

「生存人間」

人間には、これから生れて来る人間と、すでに死神が迎えに来て、肉体は無くなり魂だけとなった人間があって、その中間にある人間のことを生存人間と呼ぶわけです。
この世の出来事とは、この生存人間同志の関係において成り立つものであります。
死神が迎えに来た人間は、再び戻って来る事もなく、姿も見えないのです。録音された声は聞けても、生の声はもう誰の耳にも届かないのです。
即ち、生れて来て死ぬまでの命が生存人間の人生というわけです。
生存人間には、遺伝子に組み込まれている2種類の感情があって、成長するに従ってその感情の動きが複雑になり、顕著となってきます。
そこにまたプライドというものも存在しているわけです。
現在、この生存人間が地球上に67億人ほどいるといわれております。
この一人一人にたった1秒会うだけでも、200年以上は掛かってしまう計算です。
ですから、特殊な人間を除いて、庶民、大衆と呼ばれている人間の生涯などというものは、極限られた人達と交際しているわけです。
そして、そこで楽しんだり、喧嘩をしたり、喜怒哀楽の人生を味わっているわけです。
そんな庶民を仕合せにしてあげられるのは、良き政治を指揮出来るリーダーの役割というわけです。
大衆の運、不運などという生涯は、この良きリーダーの下で生活できるか否かに掛かっているわけです。
今の世の中は、かつての生存人間であった魂人間の努力によって、殆んど欲しいものは何でも揃う世の中になりました。
ただ、お金を介在してそれを達成しているわけです。
天国と地獄の譬え話にもありましたように、ご馳走が沢山あるけど箸が長いのです。
天国の住民のように、お互いに口の中に入れ合いこをすれば問題は無いのですが、お金という箸が要るわけです。そこに貧富の差が生れて、生存人間同志の争い事が絶えないのです。
ご馳走が沢山あるのに、格差のある社会をどう改善改良していくか、今を生きる生存人間の政治家の腕の見せどころです。
庶民は、政治家の悪口ばかり言っても仕方がないのです。むしろ政治家を敬って、良い世の中にして貰うように協力すべきなのですが、相変わらずご馳走を摘むお金という箸の奪い合いを演じているわけであります。そして、お金の奪い合いは結局力の強い方が勝つわけです。
殆んどの庶民は、給料というわずかばかりの箸で、欲しいご馳走を横目で眺めながら、つつましく生きているわけです。
文明社会ほど、「抑える」法律の力が強く、我慢せざるを得ないのです。
死にたくない庶民は、我慢出来なくて法律を破る者も出てきて、結局、刑務所行きとなります。
それでも「死ぬ」よりはましなのです。
めったな事では「死刑」という判決は下りないからです。
くらやみの感情を無くすことは、生存人間を辞める以外には方法がないのです。だから、くらやみの感情を抑えつけるのではなくて、存分に発揮して燃やしてしまえばいいのです。燃やしてしまえば、あとはあかりの感情だけが残るのです。この燃やし方を間違ってはいけないのです。
「自分自身の心の中で燃やしてしまうのです!」
これが肝要なのです。
くらやみの火は、決して他人に移してはならないのです。
自分自身で燃やすのです。
自分が正しくて、相手の方が悪い!という考えをいくらでも燃やせばいいのです。
この火が燃えている最中に、相手に接近してはなりません。
自分一人だけで燃やすのです。
火が消えていくと、あかりの感情の出番です。
問題を起こしたのは、自分にも非があるのではないかと考えるようになってきます。
「問題を起こしたのは、自分に能力が不足していたからだ!」と考えるのです。
例えば、「盗難に遭って、100万円を盗まれた」とします。初めは頭に来てくらやみの感情が発生しますが、段々と、自分がもう少し力があって鍵を頑丈にしておけば、こんな被害も防げたし、相手も罪を犯さなくても済んだのに・・・といった具合に考えるようになってきます。
自分の方が悪い!と考え出せば、いくらでも、自分の方が悪い!という新しい考え方が湧いてきます。
自分の方が悪い!と考えることが出来ないということは、間違いなく相手の行為に対して、自分にもくらやみの感情が残っている証拠です。
どんな相手にも、どんな仕打ちをされても、「自分の方が悪いのだ!」と思える修行は、初級のうちは想定外に難しいと思います。
たとえば、若い女性が強姦された相手に、「自分が悪いのだ!」と真から思えるようになるには相当の段位が要ります。
「許せない!」という強い感情のままに行動すれば、今の社会の一般常識の行動です。
あかり人生とは、そんな行為ですら、自分が悪いのだと許してあげなさい、というのですから、最初はそんな事は絶対無理!と思うわけです。でもそれを許してあげるばかりではなく、自分の方が悪い!と思うのです。そうでなければ「世界中の人々と仲良くしていく」という目標から外れてしまうのです。
釈迦は、山中で飢えた虎に出合って、そんなにお腹が空いているのなら、私の肉体でもお喰べなさい!といった行動は、とても一般レベルの人間では出来る行動ではないでしょう。
でも、釈迦は肉体を取られることもなく、沢山の人々に教えを説き、その教えが後世の生存人間の生活にも大きく影響するような偉業を残しております。
一方、キリストは、国王の望みのままに、自分の一つよりない肉体を十字架に掛かって差し上げております。
どうせ、人間としてこの世で生存人間をしている以上は、いつか死神が肉体を奪っていくようになっているのです。
死神から逃れようと、どんな努力を払っても、逃れることが出来ないのです。生れてきて、やがて死ぬという宿命から、生存人間は逃れることが出来ないように出来ているのです。
この生と死の狭間が生存人間の運命というわけです。この運命をあかり人生でいくか、くらやみ人生でいくかによって、その生き方が180度違ったものになるのです。
死神は様々に姿を変えて、生存人間の肉体を奪っていきます。この時、くらやみの感情を混入したまま、時間の経過という流れの中を生きていたのでは、恐怖、貪欲、憎悪、嫉妬、復讐、不満、迷信、激怒といった感情のレベルから抜け切ることの出来ない地獄を味わうことになります。
同じ条件の中で、欲望、情熱、信念、愛、ロマン、性、希望、感謝といったあかりの感情だけで行動できると、天国を味わうことが出来るのです。
生存人間に襲い掛かって来る現象は同じでも、当事者がその現象をくらやみの感情で受け止めるか、あかりの感情で受け止めるかによって、当事者にとって、その現象が地獄にも見えたり、天国にも見えたりするのです。
「・・・だから、素晴らしい!」
どんな現象に出合っても、あかりの感情で受け止めれば、本当に生き甲斐の中で生活が出来るのです。


2008年5月30日 午前7時34分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  基本篇(その4)

2008/06/13 11:44

「死刑是非論」

朝日新聞社が上記の件について、有識者100名の意見を大きく取り上げて報道しておりました。
是とする者、不可とする者、判らないと答える者が大体同じ数を示していました。
読者の皆様はどのようにお考えでしょうか。
あかり人生を往く波 和二には、死刑の是非論など関係のない事ですが、あかりの感情とくらやみの感情を同居させて人生を送っている人達にとっては、結構、問題となるようです。
アンケートに答えた100人の人達の中で、「人を殺さねばならぬ環境を作らないようにすることから掛からねばならない」と回答した人は一人も見当たらなかったのです。
中には、回答した人もいたかも知れませんが、問題外として取り扱われなかったのかもしれません。
「人間は人間の命を奪ってはならない!」
これは人間社会を維持していく上での大前提であります。
汝、殺すなかれ!
汝、犯(姦)すなかれ!
汝、盗むなかれ!
人間として生れたからには、この躾は絶対に守るべきであり、守るように指導していくのは先輩人間の役目であります。
そのためには、先ず、
殺さなくてもいい環境!
犯(姦)さなくてもいい環境!
盗まなくてもいい環境!
こんな環境を、先輩人間達が後輩人間達に創ってあげるべき義務があるのです。
環境を不備のままにしておいて躾だけを強要するのでは、この三次元世界に生れて来る後輩達が可哀相だと真剣に考えている生存中の先輩人間が、今どれほどの数が地球上に居るのでしょうか。
「殺す!」という行為は、自殺にせよ、他殺にせよ、人間が人間を殺す事は絶対に根絶する必要があるのです。
勧善懲悪の思想がまかり通る世の中では、殺すという行為は絶対に無くならないのです。
人間にくらやみの感情と傷つき易いプライドが在る限り、如何に強固な懲悪の法律を作ったとしても抑えきれるものではないということを、生存中の人間全体が悟るべき時代を迎えているのです。

人間は、自分は正しい! 相手が悪い! と強烈に信じ込むと、世界中を相手にしてでも闘うだけのエネルギーを持って生れてきているのです。

「殺さなければ、殺される!」
この時、強烈なくらやみのエネルギーが発揮されるのです。
日本の70年前の特攻隊、いまの人間爆弾、テロ行為、いずれも祖国の為、同胞の為、といったプライドからのエネルギーが強烈に出ているのです。
このプライドの持つ強烈なエネルギーを、どのような躾をしていけばいいのかは、あかり人生を歩み出せば簡単に判ることなのです。
第三者による、当人に対する善悪の発想では解決が出来ない問題です。
ましてプライドの小さい、正しい躾が幼児より行われていない人間ほど、自己愛が強く、これを抑えつけられると勝手にプライドが傷ついて、兇行に及ぶのです。
今の環境のままでどのように処罰をしても、環境によって支配される人間からは、第二、第三の殺人者が後を絶つことはあり得ないのです。

では、どうすればいいのか!?

波 和二の単行本、「円天・波 和二」神仏の創っている人間社会と人間が作っている人間社会について、人類すべて億万長者・・・の中で述べております。
勿論、毎週月、水、金に掲載されるブログの中でも述べております。
如何に有能な猛獣使いといえども、猛獣にたっぷり餌を与えておいてからでないと猛獣に躾を教えることは出来ないのです。
まして、万物の霊長といわれる人間には、まず、ものはたっぷりと与えてから躾を教え、2種類の感情の操作とプライドの強化を併用しない事には、殺人行為は永遠に無くすことは出来ないのです。
波 和二は、この事を人類に教えることが天命であると勝手に思い込んで今を生きているわけです。
今こそ、人間は人間の限界の力を再確認する時がやって来ているのです。
人間は人間を力で抑え切れるものではないという事を、再認識するべきなのです。
特に政治家を目指す人々は、その点に気付くべきなのです。
勿論、くらやみの感情100%で生きていく人間であるならば、力で抑え込むことは可能です。
プライドだけは、力では絶対に抑えきれないのです。
死んでしまった者を、それ以上責任追及することは出来ないのです。
プライドを強化して、自分はいつ死んでも仕合せだと真から思えるように人間を躾けること以外に、殺人行為や犯罪行為を無くす方法がないのです。

真のあかり人生を往く者は、自殺もなければ殺人行為もないのです。

人間同志で殺し合わなくても、人間には必ず死神のお迎えがやって来るのです。
この死神を恐れて生きていたのでは、折角の人生を楽しむことが出来なくなるのです。
有史以来、この死神に勝った肉体の持主は未だかつて出てこないのです。然しながら、死神といえども魂まで殺すことは出来ないのです。
死神ですら手に負えない魂です。まして人間の力で魂を抑えつけることなど出来ない相談です。
真の勇気は、自分は良いことをして生きている、世界中の人々と仲良くするために生れてきた、と確信する時に、確信した本人に湧いてくるものです。
人間である以上、相手に良かれと思って行動しても、失敗する時もあります。その失敗を相手がどうしても許さない時は、腹を決めるのです。
その時に、エースの決め球を投げるのです。
相手がいくら立腹していても、他人の命を奪えばどういうことになるかぐらいは判っております。
命を投げ出されても困るのです。
相手は我慢せざるを得ないのです。
この行為を、テクニックで使っては駄目です。
相手に、自分に能力があればこんな問題は起こらなかったのに・・・という「自分が悪い!」という思いを込めて接すればいいのです。
例え、どんなに自分の方に言い分があると思っても、その考えを通そうとすれば、必ず相手と争いになります。
どんなに自分が正しいと思っていても、探せば自分も悪かったというところを発見できる筈です。
「世界中の人々と仲良くしていく!」という事は、くらやみの感情の持主では絶対に出来ない行動なのです。
あかり人生を往くということは、釈迦のように天上天下唯我独尊の心境になって、いつでもお望みなら肉体ぐらいは差し上げますよ、といって生きていくことなのです。
だから釈迦はくらやみの行動を取ることはあり得ないのです。
釈迦に出来ることが、人間に出来ない事はないのです。
歴史好きの人は、そんな目で歴史上の人物を観察すれば、いくらでも「あかり人生を往った人々」を発見出来る筈です。彼等は余裕を持って、肉体を殺されてあげているのです。
くらやみの人間にあげるか、死神にあげるかの違いだけです。
「人はパンのみにて生きるに非ず」
キリストのこの一言に、肉体と魂の関係が言い尽くされているのです。
死刑を怖がるのは、くらやみ人生を往く人達だけです。
もっとも、今の時代に他人を殺すのは、くらやみ人生だからこそ殺せたのです。
「自分はいつ死んでも仕合せだ!」
「どうせ死ぬのなら、良い事をして死んで行こう!」
と考えて人生を往く人々には、自殺も殺人もあり得ないのです。
この世に誕生した時は、全く無知で生れてきたのです。これ等の後輩人間に、人間として正しい躾をするのは、生存中の先輩人間の義務でもあります。
殺さなくても良い環境作り。
犯(姦)さなくても良い環境作り。
盗まなくても良い環境作り。
総選挙によって選ばれた政治家の仕事ではないでしょうか。


2008年5月27日 午後4時58分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  基本篇(その3)

2008/06/11 11:45

「くらやみ撃退法」

人生を往くということは、沢山の人々(67億人)と同じ時代、同じ時間を共有して生きていくということです。
当然、そこに自分と第三者との関係が発生することになります。この第三者(配偶者、親、兄弟、友人、知人etc.)との関係が深ければ深い程、人間関係が様々の問題を運んで来るわけです。問題解決に相互の同意がある場合は、それでいいのですが、お互いの主張、意見が喰い違う場合も当然出てきます。
この時の自分をどう取り扱うかということで、場面は様々に変化してくるわけです。
あかり人生を往く者は、常に自分の取る方法は1つであります。
相手の意見に無理矢理屈服させられることは、絶対にあり得ないのです。
「我を通す!」のとは似て非なるものです。

意見が分かれたら、相手の好きなようにさせてあげるのが、あかり人生の基本中の基本なのです。

但し、それは成人レベルの相手に限定されます。
子供には躾けが大切なのです。躾け以外のことなら好きなようにさせてやればいいのです。
躾けとは、将来子供が身につけねばならぬ習慣常識のことであります。
あかり人生の達人の域に達すると、自己愛、名誉欲といった自分自身の為の望みはすべて無くなってしまうものですが、そこに到達するまでには相応の年月が必要でありましょう。
若い世代が、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」とは中々思えぬものです。
でも、この考え方をマスターする必要があるのです。
これをマスターした時に、世の中で恐れるものは何一つ無くなるのです。
この心境に達して、「世界中の人々と仲良く暮らしていこう」という気持ちになるのです。
それには、相手の言いなりになってあげるのが一番いいわけですが、相手の言いなりになってあげることの出来ない要求もあるのです。
こんな時は「エースの決め球」の出番となるわけです。
一つよりない自分の命を武器にして、相手を脅して撃退させてしまうやり方です。
然しながら、後味の良いものではないのです。
「あぁ、自分に力があれば、その要求を叶えてあげられたのに、今の自分の力ではどうにもならないのだ。済みませんねぇ・・・」
必ず、この気持ちを忘れてはならないのです。
「こんな自分の立場を理解して貰えないのなら、一つよりない自分の命を腹癒せに取っていきなさい!」
こんな気持ちを持ちながら、相手に啖呵を切るのです。
その啖呵の切り方には、能力差が出て来ます。
釈迦が虎や羅刹に切った啖呵は、さすがのものです。
波 和二も時々使う啖呵を紹介してみましょう。
「そこまで言っても判らぬのなら、俺の命(タマ)でも取っていって、一生刑務所で座っていたらどうかね!」
「君の要求は絶対に聞くことは出来ないよ!」
「・・・・・  ・・・・・」
「・・・・・  ・・・・・」
75才まで不思議と命を奪われることなく、生き続けているのです。
相手に、「済まぬ、俺の力が足りないから、その要求は聞いてあげられないんだよ」という、「自分が悪い!」というあかりの感情の中で、啖呵を切るのです。
「鵜の真似をする烏」という諺もありますが、波 和二と同じ啖呵を、くらやみの感情が混入した状態で真似をしてはなりません。
あかりの状態を保っているから効果が出るのです。
くらやみとくらやみの対決は、力の強い方が勝つのです。心にもない事を言っているのか、本当にそう言っているのか、脅しのプロは見破る力を持っているのです。
プライドを傷つけない配慮はテクニックではなく、真からあかりの感情で相手と接していれば、相手のプライドも傷つくことはありませんから、理性が働き、損得関係が計算できるのです。
お金を取り立てに来たのに、相手を殺して自分も刑務所に座っている損な方法は選ばないのです。
「命ならあげるぞ!」と顔色一つ変えずに言われたら、これは脅しは利かない、と判断して退散するのです。
生兵法は大怪我の元といいますが、決してテクニックだけで波 和二の真似をしないで下さい。
震えながら、顔面蒼白で「命ならあげるぞ!」と言ったところで相手に見透かされてしまうのです。
だから、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」ということを普段から訓練しておく必要があるのです。
それには、顕在意識と潜在意識を使った自己催眠から始めるのですが、催眠術とは顕在意識が同意するから、潜在意識もそれに応えるのです。
即ち、顕在意識が無抵抗になれば、術師の言うがままに動くのです。
自己催眠は、自分で自分の潜在意識に自分の顕在意識で働きかけるのですから、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」と顕在意識が真から思い込まなければ効果がないのです。
自己催眠とは、顕在意識の強化なのです。
初心者のうちは、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」と語りかけても、一方で「いま死んでは困る!」という考えも浮かんできます。
それを術師のように、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」と言い聞かせるためには、「いま死んでは困る!」という顕在意識を取り除いてしまわないと駄目なのです。
自分が自分同志で闘うのです。「いつ死んでも仕合せだ」「いま死んでは困る」この闘いを3年間も続けると、段々と本当にその気になってきます。「あの時死んでいても不思議ではないのに、今も生きているということは余禄のようなものだ。もういつ死んでも仕合せだ!」
といった具合に、自分で自分が納得するようになってきます。
そして、「どうせ死ぬならいいことをして死んでやろう!」という気分になってきます。こうなればしめたもので、段々と純粋なあかり人生を歩めるようになってくるのです。


2008年5月27日 午前5時35分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  基本篇(その2)

2008/06/09 11:46

人間は「恐怖」を感じないで行動するケースは2つあります。
1つのケースは、純粋なあかりの感情に支えられて行動する時です。
もう1つは、プライドが極端に傷つけられて、無我夢中で行動するケースです。
あかり人生とは、愛を主体とした諸々のあかりの感情に支えられて日々を行動するということです。
その為には、恐怖の感情を克服してしまう必要があるのです。この恐怖の除き方をマスターして欲しいのです。
波 和二という75才の老人に出来ることは、人類がその気になって訓練すれば、成人なら誰でも出来る筈です。
自分自身に少しでもくらやみの感情が残っていると、
「自分の言い分の方が正しくて、相手の方が間違っている!」
という考え方が湧いて来ます。
この感情のままで相手と言い合うと必ず争い事が発生して、「また仇」の原理で、生涯和解することはありません。
俗に言う、「盗人にも三分の理」というやつです。
問題を真から解決するためには、
「まずこのような問題を引き起こしたのはすべて自分の力が不足しているからだ。自分に問題を解決する力が不足したから、このような問題が起こってしまったのだ。力不足の自分が悪いのだ。」
このような調子で、顕在意識で考えるのです。
すると、不思議なことに、くらやみの感情が消滅してしまって、純粋なあかりの感情だけが残るのです。
この状態になってから、問題の解決方法を考えていくのです。
そこに思いも寄らなかった解決方法を見付け出す筈です。
然しながら、
人生行路の中には、直ちに解決出来ない問題に遭遇する事もあります。
相手に無理難題を吹き掛けられて、脅されたり強要されたりする場合もあって、「今」すぐにその返答を求められる時もあります。
このような場合は、「エースの決め球」を投げるのです。
「毒は毒を以て制す」くらやみの相手には、それ以上のくらやみの力を発揮して撃退させてしまうやり方です。
このやり方については、(その3)で解説することにします。
これがあかり人生の真骨頂といえるのです。
「恐怖」の感情を超越して行動するもう1つのケースとは、本人が相手によって極端にプライドを傷つけられたと勝手に解釈して行動する場合のことです。
かつて、分析心理学者達が、殺人罪で服役中の囚人に、どうして殺人をしてしまったたのか、と調査した事がありました。
その95%以上の囚人は、相手にプライドを傷つけられたからだ、と答えております。「カーッ!」となってしまうのです。無我夢中になってしまうのです。
平常心に戻って、取り返しのつかない事をしてしまったと悔んでも、後の祭りと言う訳です。
このプライドの扱いほど厄介なものはないのです。
お金の問題だけではないのです。
宗教の問題
民族の問題
も含まれているのです。
これが、現実に世界諸国で大問題を引き起こしているわけです。
めったな事では傷の付かないプライド訓練は、人類永遠の課題であります。
<釈迦に学ぶ>

釈迦の晩年の教えである「天上天下唯我独尊」の精神こそ、2008年の「今」を生きる67億人の人類にとっても、貴重な教えであるといえます。
まず、釈迦は、肉体と魂(心)の関係を肉体より魂の方が上位であるということを自らも実践しているのです。
山中で出合った虎に、そんなにお腹が空いているのなら、自分で良ければ喰べなさい!
羅刹の唄を書き残して、さあ私を喰べなさい!
といったエピソードがありますが、少なくとも「恐怖」の感情を超越してその時代の「今」を生きていたのです。
恐怖に始まるあらゆるくらやみの感情を克服して、虎や鬼の中へでも悠然として歩いている釈迦こそ、純粋なあかり人生を往った人であり、背後にあかりのオーラを見る思いです。
そして、釈迦は一番難問題であるプライド強化法を、「天上天下唯我独尊」と説いたのです。
プライドは小さい人ほど傷つき易いことを釈迦は良く知っていたのです。
だから、「天上天下唯我独尊」なのです。今風に訳せば、「人間として生れてきたからには、自分がこの世の中で一番偉い人間なんだと真から思えるようになるまで修行しなさい!」と言っているのです。

諦めかけていた頃に長男を授かって、それを契機としてあかり人生にチャレンジして38年が経過して、今では75才を迎えた波 和二ですが、結局、天命を感じて感情操作とプライド訓練の重要性を説いているのですが、それは大先輩の釈迦の教えの域を一歩も出ていない事に気付かされたのです。
物質文明は著しい進歩を遂げているのに、心の教えはむしろ退歩していると言えるのではないでしょうか。
恐怖の感情を超越して、純粋なあかり人生を送るやり方を、今こそ人類は再学習すべき時代ではないでしょうか。
めったな事では傷つくことのないプライド訓練も必要です。
「くらやみの感情が発生している間は行動せず、あかりの感情が回復してから行動する」
まず、感情操作の初歩から取り掛かってみてはどうでしょうか。

<あかり人生入門>
「世界中の人々と仲良くする」これが大前提となるわけです。
問題が発生したら、まず自分の言い分を考えます。
すると自分が正しくて、相手の方が間違っているという答えが出てくる筈です。
もし、自分の方が悪いと真から思う時は、相手との問題が解決していることになります。
本当に自分が悪い!と思った時は、自分の一つよりない命をもって償えばいいのです。
自殺するのではありません。
勿論、他人を殺すことも良くありません。
命は人間同志で奪い合っては駄目なのです。
どんな理由があっても、人間には自分の命も含めてすべての命を奪っては駄目なのです。
死んでしまっても、殺してしまっても、その相手とは仲良くすることが出来なくなってしまうのです。
あかりの人生を往くということは、「世界中の人々と仲良く付き合っていく」という大目標に背いてはならないのです。
どうしても相手が許さなければ、一つよりない自分の命を差し上げればいいのです。自殺するのではありません。命を奪わせてあげるのです。
「そんな事、出来る訳はない!」
と短絡に決めつけないでください。
その為に訓練するのです。
釈迦やキリストを始め、あかりの心のままに命を相手に差し上げた例はいくらでもあるのです。
自殺は駄目なのです。
自殺はくらやみの感情に支配された究極の手段です。
一つよりない命を相手が望むのなら、差し上げる行為は究極のあかりの感情なのです。
波 和二のあかり人生シリーズが進行するにつれて、その理由が良く理解されてくる筈です。
慌てないで、月、水、金に連載されるブログを読み続けてください。
キリストは相手の要求するままに十字架に掛かってあげました。
サンピエトロ13世は、ネロ皇帝の望みのままに逆さ磔の火焙りで命を差し上げたのです。
アウシュビッツのコルボ神父は、所長のお望み通りに代替りして飢餓室で命を差し上げたのです。
釈迦は、虎や羅刹などに命をあげようとしたのに、受け取る相手が無く、宿命という寿命にその命を差し上げたのです。
人間として生れて来た以上、死神の要求に抗いきった者は誰もいないのです。
この死神を恐れて生きていたのでは、折角の人生は楽しむことは出来ないのです。いくら逃れようとしても逃げ切れないのです。
ならば、釈迦やキリストのように、「いつでもいらっしゃい。いつでもあげますよ。」と言って、生と死の狭間の人生を楽しんでいった方が余程スマートなのです。
死神は至るところで機を窺っているのです。
脳溢血、心臓病、癌、交通事故、人災事故、天災事故・・・等々です。
一つよりない命だから、護ろうとしても護り切れるものではないのです。
そこに必然的に悩みが発生し、宗教が誕生してきたのです。
あかり人生を往く、ということは、この死神とも仲良く出来ないと、本当の人生の楽しみを味わえないということなのです。


2008年5月26日 午前5時42分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


あかり人生  基本篇(その1)

2008/06/06 11:58

あかり人生を貫いて生きていくということは、くらやみの感情で襲って来る相手に絶対に負けない力を持って生きていくという事です。
くらやみの感情で襲って来る力には限界があるのです。
例えば、どんな小さなローソクの灯りでも、くらやみがいくら襲ってきても消すことが出来ないのと同じことです。
人間は、肉体と魂との融合で個人個人を作っているわけですが、相手の肉体は力で奪うことが出来ても、魂(心)までは奪うことが出来ないのです。
この魂の部分をあかりの感情だけを維持して生き抜いていくことが出来れば、どのようなくらやみの感情に包まれた環境の中でも、結構楽しい生涯を送ることが出来るのです。

諦めかけていた時に長男を授かり、それを契機としてあかり人生にチャレンジして、気が付くと38年が経過して、2008年5月19日で76回目の誕生日を迎えました。
日本風に言えば75才というわけです。
「くらやみの感情が発生している時は行動せずに、あかりの感情が回復してから行動しなさい!」
「めったな事では傷の付かないプライドの持主になりなさい!」
これを人類に教えるのが波 和二の天命であると悟って、生きているわけです。
「人に物を教える!」という事は、自分もその教えることを実践できるという事です。
自分が出来もしないのに、それを人に教える層も確かにいます。
俗に言う、「論語読みの論語知らず」という類です。
宗教家と宗教学者の違いです。
「自分のようにやってみなさい! 楽しいから!」
と言える人間が教えるべきなのです。
あかり人生を生きていく!ということはまず基本を身につけねばなりません。
この基本が身についた時、もはやこの世の中で恐れるものは何一つ無くなってしまうのです。
この心境の下では、人生で出合う様々な出来事や問題解決法についても、くらやみの感情が混入した人達とは全く違う解決法を発見できるのです。

だから、単行本「円天・波 和二」も書き上げることが出来たのです。

「神仏の創っている人間社会と人間が作っている人間社会との比較」
が文章になって発表された事によって、目から鱗の落ちる思いの人類は、これから(2008年6月20日以降)沢山出て来ることでありましょう。
大衆の求めるものをいつまでも抑え切れた政治家は歴史上どこの国にも発見できないのです。
くらやみの感情を混入して人生を往く人々の共通点は、「死にたくない!」なのです。そこに恐怖の感情が発生するわけです。この恐怖を原因として世の中が存在する以上、戦争、争い事、揉め事、裁判沙汰は絶えることなく、益々増加の一途を辿っていくわけです。
この死に対する恐怖の感情を取り去ってしまう訓練が必要なのです。必要なのですが、くらやみの感情が発生している間は、絶対に恐怖の感情は拭い切れるものではないのです。
そこに感情操作の難しさがあるのですが、訓練次第では波 和二程度のレベルまで到達することは可能です。

何故ならば、人間の出来るものは、人間に出来るからです。

あかり人生を貫いていくということは、くらやみの感情を持って迫って来る相手には絶対に負けない力を持つという事です。
その力を、自らもくらやみの感情の状態で発揮しないという訓練を重ねて生きていくということです。

相手がくらやみの感情を交えて自分に襲って来ても、絶対に負けない力を持って生きていくということです。

くらやみの力は、肉体は襲えても、魂(心)までは襲うことは出来ないのです。魂(心)さえいつもあかりの感情を維持していれば、襲って来るくらやみの力は撃退できるということです。
肉体と魂(心)を完全に遊離することが出来れば、もはやこの三次元世界に恐れるものは無くなってしまうのです。
いくら法治国家といえども、死刑以上の刑を科すことは出来ないのです。
「死を恐れる」ということは、魂(心)がくらやみの感情に占拠されている証拠です。
愛があれば、くらやみの感情はいつか魂(心)から退去してしまうのです。
すると、「世界中の人々と仲良くする」という人間本来の基本に立って、全てのものと対処できるのです。
今迄、敵に見えていた相手を、愛の感情(あかりの感情)で眺めると、相手にどんな行為をされようとも、それはそれで可愛く見えて来るものです。
そんな心境になって、方便としてくらやみの力を使うのです。
くらやみの感情を持って襲って来る相手には、それを撃退するのは、それ以上の力を必要とするのです。
相手に愛を持って、必要に応じてくらやみの力を使うことが出来るようになれば、感情操作能力も一流であります。
釈迦やキリストは、くらやみのパワーを愛を持って使っていった、一流中の一流の人達であります。
それは、後世にまで残されたエピソードによっても充分に知ることが出来るのです。
あかり人生を往く、ということは、くらやみの感情で迫って来る相手に無抵抗で生きていくということではないのです。最高のくらやみの力を発揮出来る能力を持っていながらも、そのパワーを使わないで生きていくということなのです。
その最強の力を身につける方法として、
「自分はいつ死んでも仕合せだ!」
と真から自分が思い込める訓練が必要となって来るのです。
くらやみの世界で生きていく為の最強の力を持ちながらも、その力を発揮せずに、「世界中の人々と仲良く生きていく」人生こそ、あかり人生なのです。


2008年5月25日 午前4時46分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


題名「円天・波 和二」の由来について

2008/06/04 11:45

2007年10月10日より書き始めたブログの題名は「円天・波 和二」となっております。また、2008年6月20日より出版される単行本の表題も「円天・波 和二」が使われております。
波 和二が生涯に亘って書き続けるブログ集と、単行本や出版されるDVD、映画等はすべて「円天・波 和二」シリーズというわけです。

これは、物心両面教の表象であります。

動物人間の域からまだ脱皮することの出来ない人類で貧乏人や戦争や争い事のない文明社会を作り上げ、そこに平和に生活出来る具体的方法を説いたのが、「円天・波 和二」のシリーズものであります。

「円天」とは、人類すべて億万長者にさせるための具体的な方法であります。今後、世界各地に共鳴者が誕生し、これ等の中から政治家が出現して、「円天」の世界を人類(大衆)の為に築き上げてくれることになるでしょう。
いわゆる「物・お金」の部門の解決方法です。

「波 和二」とは、感情操作法、プライド強化法のモデルとして採用したものです。

「人に教えを説く!」ということは、少なくとも「自分のようにやってみなさい!」と実践出来る人が説くべきであります。
「目的を達成しようと行動する人なら、くらやみの感情が発生している時は行動せずに、あかりの感情が回復してから行動するようにしなさい!」
と波 和二は「あかり人生」を説いて、30年以上の時間が経過しました。気が付くと、もう三次元世界の日本人社会で76回目の誕生日を迎えたわけです。
いわゆる「心・プライド」の部門は、波 和二程度に人類が実践できるようになれば、地球上に「あかり天国」が具現することは間違いないのです。

この物心両面の教えを説いて、波 和二の生涯は終わることになりますが、いつ「お迎え」がやって来るのか、それは「宿命」にまかせて、死ぬまで教えを説いていくことになります。これが「今」を生きる動物人間 波 和二の最高の生き甲斐であり、この世に命を授かった先祖代々の血筋に対する恩返しでもあります。次世代、三世代と、延々と続く人間社会に生活する子孫を、お金の苦労もなく、愛ある世の中に住まわせてやることが出来ることは、生き甲斐でなくて何でしょうか。

有史以来の具体的な物心両面からの教えを、神仏の代弁者(通訳役)として果たせる仕事を授かったことは、血筋に対して大いなる誇りであり、日本民族を始めとして世界諸国に、これを説いて生涯を終えることが出来ることは、正に生き甲斐そのものでなくて何でしょうか。

世の為、人の為に何か良い事をしてこの世を去りたいと願っている波 和二と同じ世代の世界の富豪と、「円天・波 和二」シリーズの出会いによって、彼等は大量の書物を購入して、円天研究会を通じて、自国の国民の啓蒙運動を始めることになるのは必至です。

世の中は、変わるのです!  間違いなく変わるのです!

神仏の教えに共鳴する人間は、世界各地に点在しているのです。
彼等の魂に、同居している「もう一人の自分」も刺激します。
時間の経過と共に、物心両面の教えは、世界中に大きなうねりとなって拡まっていくことでありましょう。
神仏は、言葉は発しませんが、映像で話しかけているのです。
波 和二の夢の中に出て来る「神仏の創っている人間社会」のことなど、創作で書ける筈はないのです。

新しい仕事は、共鳴者によってのみ、この世の中に出現するのです。

共鳴者を、より強固な共鳴者に仕上げていく仕事は、世界各国の円天共鳴会のメンバーの仕事です。それが現役としての行動であり、仕事です。
波 和二は、コーチ役、教え役として、これからも生き甲斐を感じて、ブログ集や単行本を書き続けていくことになります。
「心が変われば人生も変わる!」
くらやみの感情とあかりの感情を交錯させて75年もの人生を送り続けてきた同年輩の人々の中には、さまざまな人間模様、人生模様があるのでしょうが、一筋にあかり人生を往く波 和二は、益々生き甲斐を感じて、人生を青春しているのです。
ここ数年は、動物人間 波 和二にとっては、正に激動の時間の連続でした。
もし、この激動の中に巻き込まれていたら、間違いなく「円天・波 和二」シリーズは生れてこなかったのです。
これからも、くらやみの感情の渦の中にあっても、あかり人生を貫き通していける自信があります。
同じ条件の中から発生する2つのストーリー、くらやみ人生とあかり人生を対比しながらの実録「波 和二とあかり人生」シリーズを暫く継続していきたいと思います。
人間に出来るものは、人間に出来ない事はないのです!
記録は破られるためにあるのです!
どうか、同世代、次世代、三世代・・・の人々は波 和二のあかり人生の記録に追い着き、追い抜いていって下さい。
その延長線上に、戦争も争い事もない、欲しいものは充分に手に入る「あかり天国」があるのです。
その「あかり人生」のための研究材料の一つになればと、「波 和二とあかり人生」シリーズを掲載することになります。
「物」に関する事は、神仏の創っている人間社会を紹介することによって、大体の役割が終わりました。この世界を達成することは、そんなに難しいことではありません。
「抑え続ける政治」のやり方では、「今」に人類は行き詰ってしまいます。その時が近づけば近づく程、如何に超近視眼的な大衆も気付くことになります。それまでに、円天研究会は傘を作って用意してあげておれば、人類は大感謝です。
単行本「円天・波 和二」シリーズを皮切りに、その啓蒙運動が世界各国でスタートすることになります。2008年6月下旬に日本語版が初めて出版されるわけです。

「物」の解決は、総選挙でリーダーを選出して、リーダー達に政治を任せて、国民は指示通りに行動すればいいのですから、これは時間の問題です。
「心」の解決は、一朝一夕には簡単には行きません。
そのサンプル役を波 和二が買って出たのです。
実際問題として、ここ40年あまりの波 和二の人生の中で様々な問題が発生しております。これと全く同じ条件の問題に読者が遭遇したとして、果たして波 和二のようなあかり人生を歩めたでしょうか。
もし、波 和二のレベルを人類が超えた時は、「今」のままでも「あかり天国」が具現することは間違いないのです。

感情操作能力と、ちょっとやそっとでは傷つくことのないプライド能力の持主になることは至難の業です。

あと、何十年、何百年、否、何千年、何億年かの時間が必要かもしれません。
少なくとも、「くらやみの感情が発生している時は、目標達成の為に行動しない!」、この能力を鍛え上げることからスタートです。
そうすれば、釈迦やキリストのように、「世界中の人々と仲良くしよう」という気持ちが自然に込み上げてくるようになる筈です。


2008年5月21日 午後6時34分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


75才の誕生日を迎えて

2008/06/02 11:46

2008年5月19日、今日で76回目の誕生日を迎えたわけです。
満年齢で75才というわけです。
75才にして、前人未踏の神仏の創っている人間社会の情景を、拙い文章で通訳しました。
もう少しすればDVDとか映画になって、より鮮明に表現されることになるでしょう。
円天を介在させた、人類すべて億万長者の生活をしていることを通訳したわけです。
今まで人類の誰の頭にも浮かばなかった世界を紹介したのです。
動物人間 波 和二の役割の、「物」に対する紹介は一応、果たせたと思います。
これを人類が真似て作るか否かは、あくまでも人類の勝手であります。
有史以来歩んで来た、諸欲望を抑える政治をこのまま踏襲するも、人類の勝手です。
ただ、法律で抑えて勧善懲悪を説くやり方では、争い事が益々増える一方であることは、今を生きている人類は体感しているわけです。
いまや経済戦争は世界規模で拡大し、一国の力では抑えきれなくなっているのも事実であります。
然しながら、超近視眼の大衆は悠々たるものです。今の状態の政治の下でも生活出来るからです。
傘は、雨が降ってきてから使えばいいのです。世界の大衆は、今のままの政治の下でも満足している人口は多い筈です。例え不満があっても、政治のどこをどのように変えればいいかの具体的な計画を持ち合わせていないのです。
結局、
大衆の生涯の運、不運は、良きリーダーが誕生してくるか否かによって決定づけられるという歴史の繰り返しでした。今後もその轍を踏んでいくのでしょうか。
勿論、
昔と較べれば、比較にならぬほど生活水準も上がっておりますし、心の教えも充実していることは事実です。
然しながら、法を犯したり、法の目をくぐっての争い事が急増していることは、万人の認めざるを得ない事実でありましょう。
世界規模にまで拡大した経済戦争を、今後は法の力でどのようにして抑えつけていくのでしょうか。世界の政治家にその妙案はあるのでしょうか。
今や経済は一国の問題だけで解決出来ないところまで来ているのです。
それでも、大衆は悠々たるものです。
まだ自分に降り掛からぬ雨の事など、他人事のようです。
そんな事を波 和二が心配しても、改善する現役ではありませんから、どうすることも出来ないのです。
ただ、神仏の創っている人間社会を、人間が作っている政治社会に住んでいる人々に出来る限り速やかに、正確に伝えるのが波 和二の役割であると受け止めて、通訳したわけであります。
一応、これで神仏への義務は果たしたと思っております。
あとは、波 和二の天命とする感情操作とプライド強化のやり方を教えて、この三次元世界から消えていくことになります。
肉体は荼毘に付されて、魂はどこに行くのか、死んでみない事には判りませんが、もう一人の自分は間違いなく神仏の世界へと戻っていきます。その時、動物人間の波 和二の魂も一緒に連れていってくれるのかどうかは、波 和二は判りません。でも、そんな事はどうでもいいことです。
それよりも「今」を生きる波 和二は、単行本「円天・波 和二」を書き終えて、この三次元世界のこれからの「今」を生きていく人類の為に、人類が誰一人として考えていなかった、神仏の創っている人間社会を紹介できたことを、生涯の誇りに思っております。
人類が有史以来踏襲してきた、「抑える」という政治とは180度方向転換した「解放する」という政治の世界を、人類で初めて通訳した事を誇りに思っております。
雨が激しくなって来たら差す傘を教えることが出来たのです。
この単行本が売れようが、売れまいが、そんなことを気にして書いた本ではないのです。
神仏は言葉を発しませんが、絵で表現するのです。
然も、天然色を帯び、立体感を持ち、活き活きと動き出す映像となって教えるのです。それを出来る限り正確に通訳したつもりでおります。
動物人間 波 和二は、日本という法治国の国民として肉体は拘束されて生きているわけですから、法の命令には肉体は服します。但し、魂は別問題です。
あかり人生を往くということは、魂は法律を超えて生きていくということです。長い訓練によって、波 和二の肉体は、魂の言うがままに、命じるがままに行動できるのです。
恐らく、この単行本は国境を越えて、爆発的に売れていくことでありましょう。
この本の読者の中から円天研究会が誕生して、行動を開始することになるでしょう。
波 和二は現役として陣頭指揮して行動するには余りにも年を取り過ぎました。
波 和二よりも若い、次世代、三世代の人々の中から現役が現われて、この三次元世界も神仏の創っている人間社会と同じような世の中にしてあげて下さい。
波 和二のブログ集は、一介の老人がこれから様々の問題に遭遇しても、あかりの感情だけで生き抜いていく日常の記録集として、後世に残る良き研究材料になると思って、これからも命のある限り、モンブランのペンの動く限り、書き綴っていくことになります。


2008年5月19日 午前7時10分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


神仏の創っている人間社会と人間の作っている人間社会との比較(その20)

2008/05/30 11:51

「自由」という美名の下に、経済界は国境を越えて世界規模の大戦乱の様相を呈し、国民が総選挙によって選出した政治家主導の政治社会にも多大の被害を及ぼしつつも、戦火は鎮まるどころか益々拡大化していくばかりであります。
この世界規模にまで発展した経済戦争をどう治めて健全な政治社会を取り戻すかが、世界諸国家の難問題であります。
この戦乱を治めるためには、もはや法の力に頼っていただけでは手遅れとなるのは必至です。
抑えるだけでは解決出来ないのは、世界の政治家なら誰でも体感している筈です。
「特効薬」が必要なのです。
その特効薬こそが「円天を介在させた」神仏の創っている人間社会そのものなのです。
もう、処方箋は波 和二の通訳によって大体に於いて理解されたことでありましょう。
とは言え、2008年5月16日現在で波 和二のブログはここまでより進んでいません。このブログは5月30日の金曜日に掲載されるものです。
今日の時点では、単行本は製本中であり、6月中には初版が日本語で出版される予定です。
・・・ということは、
世界中の政治家の誰一人として、「円天を介在させる」という発想にも気付いていないわけです。
その間にも、人間の作っている人間社会では、価格破壊が進行し、経済戦争が地球規模で環境破壊を誘発して止まるところを知りません。
もはや経済戦争は、一国の問題だけでは解決出来ないところまで進んでいるのです。
世界諸国が一致団結して事に当たらねば、解決出来ないところまで来ているのです。
その点に関しては、世界レベルの政治家であれば判っているのですが、妙案が浮かばない筈です。
文明社会を地球規模で維持していくためには、歴代の政治家が何の疑いも持たずに踏襲して来た、国民の諸欲望を抑える一辺倒の政治では解決不能となった事実に当面しているのです。
日本という小さな国の、一介の無名の老人、波 和二が日本語で書き綴っている文章の内容に注目して貰いたいのです。
政治家自身の為にではなく、国民の為、人類の為に内容を検討していただきたいのです。
このような内容を書ける人間など、何処にも存在しなかった筈です。
これこそ、神仏の代弁者(通訳役)だからこそ書けたのです。勿論、これからも書いていきます。
単行本は1巻、2巻と書いていく予定です。その内容と同じものがブログ集となって出版されていきます。
ブログは毎週月、水、金と掲載しておりますので、リアルタイムに無料で読めます。
ブログで読むのと、印刷されたものを読むのとでは自ずと味が違ってきます。
好きな方を活用して下さい。

神仏の創っている人間社会に近づくためには、現在の民営企業を全部国営化する必要があります。従って、世界諸国が歩調を合わせてこれに取り掛からなければ、効果が出ません。
民営企業も戦乱の中を闘い続けて来て、平和を望む気持ちが全企業に芽生えてきていることは事実です。戦国の武将も、長い間戦乱の中を闘い抜いてきて、平和を望む気持ちが武将と部下にも芽生えてきたから、天下統合が出来たのです。

「すべての人類を億万長者にする!」
世界諸国の政治家が号令を掛ければ、全企業は喜んで国営化に賛成することになります。
その為にも、波 和二の通訳本を基にして、世界各国の円天研究会が主導して、有権者と政治家を啓蒙していく必要があるわけです。

<お金持ち個人、経営者>
いま、波 和二に事業資金が与えられると、世界人類に通訳の内容を急速に伝達することが出来ます。
このブログや単行本シリーズを読んだ方の中に、国籍に関係なく、お金持ちの方がいましたら、大量に単行本なりブログを買って、円天研究会にそれを寄付していただきますと、寄贈者の名前を同書に印刷して、地域社会の人々に無料で配布することが可能となります。
また組織体で一括購入していただいて、組織に本を配布していただくという方法もあります。
いずれにしても、円天・波 和二のブログ及び単行本シリーズは国境を越えて沢山の人類に一日も早く読んでいただきたいと思っております。
世の為、人の為に、一肌脱いで下さるお金持ちの方々に、このブログなり単行本は必ず巡り合えると信じております。それは今日より数えて何十日後か何百日後か、必ず巡り合えると信じております。


2008年5月16日 午後4時35分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


神仏の創っている人間社会と人間の作っている人間社会との比較(その19)

2008/05/28 11:53

<国民口座>
国民総国家公務員になったということは、貸方口座と借方口座の2つの口座を持つことになります。賞賛円天口座と消費円天口座の2種類の口座を持つということです。
相手が消費円天を支払うということは、一方で賞賛円天を受取る側が出て来るということです。この賞賛円天は全部国家の売上として、国家の収入となるという考え方です。
賞賛円天は、一旦国営企業に入り、それを年度末に所属社員に適法に分配されるやり方と、個人に入りそれがそのまま個人の賞賛円天に加算されるというやり方があります。
この賞賛円天と消費円天のバランスによって国民の秩序が保たれる制度となっております。
賞賛円天が極端に少なく、消費円天の多い国民は、少なくとも自己中心的であって、社会貢献をしていないわけです。これ等の人々は感情操作やプライド訓練の再教育が必要となります。
罰則制度はありませんが、場合によっては施設での長期訓練の必要性も出てくるわけです。
「あげるものは充分にあげてあるのだから、人間として当然守るべきことは守って下さい。」
これが社会の公序良俗のベースとなっているのです。
勧善懲悪の発想ではないのです。

<企業の賞賛円天>
消費円天の売上はすべて賞賛円天として計上されます。
これを、全従業員に基準によって配分されることになります。この賞賛円天が従業員の数に比較して極端に少ない企業は、国家より指導が入ります。
場合によっては、企業は整理されて、従業員は新しい職種に配置されることもあります。

<個人の賞賛円天>
子供から従業員のいない独立事業主まで、幅広く対象となります。要は消費円天を出す側が、その行為に感謝して出す場合に、感謝された側は賞賛円天となるわけです。
賞賛円天そのものは国家の売上ですから、この賞賛円天は、国民は勝手に使用出来ません。但し、この賞賛円天の年間累計額が大きいということは、人格的に評価されることになります。
消費円天に較べて賞賛円天の極端に少ない国民は利己的であり、社会貢献度が低く、公序良俗を乱す恐れのある人物として、再教育が必要となります。
家庭の面倒を見ている主婦には、当然感謝の気持ちとして、家族からそれぞれ消費円天が支払われ、それが主婦の賞賛円天となるわけです。
人に親切にされた国民は、その人に対して感謝の気持ちとして消費円天を振り込みます。それがその人の賞賛円天となるのです。
従って、消費円天は、相手に要求されて支払うケースと、相手が要求しなくても自分が勝手に感謝の気持ちとして支払うケースの2つがあるわけです。
感謝の気持ちで支払う消費円天は、相手に知らせなくても勝手に相手の賞賛円天口座に振り込むことが出来ますが、その行為によっては、上、中、下といった具合に金額が定められていて、それ以上は振り込めません。
これ等はすべて国家がソフトを作っていて、簡単な手続きで相手に賞賛円天をプレゼント出来る仕組みとなっております。
様々な催し物を進行する世話役には、当然複数の人々から賞賛円天が集まってきます。
子供を産んであげた母親には、当然子供から感謝の気持ちとして消費円天が母親の賞賛円天の口座へ振り込まれてきます。この代行役は国家のソフトがロボット的に行います。この時の振込上限額が決まっているわけです。
一方、母親の方も、子供を授かった喜びは大きいのです。父親もまた同じ気持ちでありましょう。
当然子供にも両親から子供の賞賛円天口座へ消費円天が振り込まれてきます。初孫を授かった祖父母からも振り込まれてきます。これ等のケースの消費円天の振込額も、国家のソフトによって上限が決められているのです。
年度末ともなると、この一年間世話になった人々に賞賛円天を振り込む作業をする国民が増えて来る筈です。現実に、神仏の創っている人間社会ではそうなっているのです。
年賀状よりも遥かに人間関係を愛あるものにしていくことでありましょう。
年間100億円天も使う権利のある富豪の国民は、自分の使い余した消費円天を、自分と人間関係のある人々に賞賛円天として感謝の気持ちを込めて贈る行事を人一倍楽しむことが出来るのです。
繰り返しますが、賞賛円天は消費円天としては使用出来ません。それは国家の売上、国家の収入として計算されるのです。
国家から給料を貰っている国家公務員だから当然のことでありましょう。
然しながら、人々から年末に沢山の賞賛円天を受取ることは、受取る側にとっては大変気分の良いことでありましょう。
この消費円天と賞賛円天の組み合わせによって、いくら沢山のお金をあげても、怠け者や人に迷惑を掛ける人類は、今の人間が作っている人間社会の人々よりも極端に少なく、従って争い事や裁判沙汰も少なくなるのは当然だとは思いませんか。


2008年5月14日 午後5時24分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


神仏の創っている人間社会と人間の作っている人間社会との比較(その18)

2008/05/26 11:47

<想定>

何故、神仏は毎夜、神仏の創っている人間社会の情景を映画を観ているように鮮明に見させ続けるのでありましょうか。
最近気付いたのですが、何の先入観もなく見る夢は、何回もくどいほど出て来る夢と、あっさりと見せる夢とがあるのです。
最近では、円天市場の情景はあまり出てきません。
求めれば再現してくれますが、単に寝てしまった中で見せる夢は、同じ情景をくどく、くどく見せるのです。

今観ているところを、このブログの中で通訳しているわけです。
〔1〕人類がすべて億万長者になるまでの情景。
〔2〕すべての企業、法人が国営化していく情景。
〔3〕賞賛円天と消費円天での情景。
この種の夢を良く観るのです。相変わらずの無声映画ですが、段々と通訳が上手になっていくのを感じております。

これから書くことは、波 和二の独自の想定です。何故ならば、動物人間 波 和二はまだ三次元世界で生きていて、死んでいないからです。死ねば神仏と人間の関係を観ること、体感することが出来るのですが、宗教家ではない波 和二は「想定」の域を出ない話となります。なりますが、恐らくこの想定していることは間違いないと信じきって、毎日の「今」を、生き甲斐を感じながら生き続けているわけです。

人間と神仏の関係をいつの時代の誰が言い出したのかは波 和二には判りません。それは宗教学者(宗教家ではありません)にまかせるとして、神仏の存在を体感している波 和二であります。然しながら、神仏の加護に頼って生き延びたいとは毛頭思っていません。
あかりの人生を極めていくと、誰も恐れず、誰にも頼らず、自分で勝手に、死ぬまでの間は生き甲斐を見付けて生きていくことが出来るからです。

今迄、波 和二は肉体と魂(心)の関係で人間が出来ているということを信じ込まされて生きてきたのですが、どうやら、心の中に「もう一人の自分」が同居して、それが魂と呼ばれるものだと気付いたのです。
医学的に見た肉体と心の関係の他に、「もう一人の自分」が心に魂となって同居しているという考え方です。
「もう一人の自分」とは神仏の世界から志願してやって来たものです。
この魂(もう一人の自分)が、動物人間に必ず一人ずつ同居しているわけです。
人間が無我夢中になると、必ず「もう一人の自分」も加勢してくれるのです。
この魂の存在が、四次元世界の無限、無辺、無量の世界からやって来て同居しているのです。
時間、空間、質量の存在を認めたから三次元世界があって、人間はこの中で生れて死ぬように出来ているわけです。時間の存在を認めない無限の世界であれば、生も死もないのです。
空間の存在を認めない無辺の世界であれば、広さは無いのです。
質量の存在を認めない無量の世界であれば形というものが無いのです。
神仏の世界からやって来た魂(もう一人の自分)とはそのようなものなんだと、波 和二は勝手に想定しているわけです。

何故、神仏は人間を選んで魂を同居させるようになったのか。他の動物、生き物には魂はないのか。生命と魂とは違うものだと、波 和二はこれも勝手に思い込んでいます。

恐らく神仏は、人間を選んで、神仏の世界までレベルアップする過程のドラマを楽しんでいるのでありましょう。

無限、無辺、無量の世界まで、時間、空間、質量の存在を認める三次元世界から到達するためには、気の遠くなるほどの時間が掛かることでありましょう。
このレベルアップしていく過程のドラマを楽しんでいる神仏は、このまま人間の作っている人間社会を放置しておいたのでは人間社会が崩壊してしまう、という危惧を抱いて、方向転換させる必要があると感じて、神仏の代弁者を探していたのでしょう。そして図らずも波 和二が選出されたのだと思います。
神仏は、言葉は喋りませんが、言葉よりも凄い映像で自分の意志を表現するのです。この映像は、純粋なあかりの感情プラスふさわしい能力がないと見ることが出来ないのです。
38年間もあかり人生を貫き通している波 和二が、適任者として選ばれたようです。
波 和二がこの世(三次元世界)に生れてなければ、誰か他の人間が選出されていた筈です。
でも、なかなか、あかり人生一筋に生き抜いていくという能力は、短期間ではつくものではないのです。
そのように考えて、1933年5月19日の誕生より2008年5月19日の75年間を逆算してみると、実に一般人では味わえない数奇な人生でありました。
人類が信じようと、信じまいと、読者が信じようと、信じまいと、それは人類の勝手であり、読者の勝手です。

このまま、人間の作っている人間社会を生き抜いていくのも一つの方法です。

「抑える」こと一辺倒の政治社会で生きていくのも、また180度方向転換の神仏の創っている人間社会を真似て生きていくのも、人類、個人の自由自在です。

波 和二の話に共鳴する者で円天研究会を作って、180度転換の世の中へと導いていくのも、また人生です。

波 和二的には、どちらでも構いません!

あかりの人生を歩むのに、今の人間社会でも何の不自由もありません。
「自分はいつ死んでも仕合せだ!」と死ぬまで生きているから、180度転換社会であれ、今のままであれ、どちらでもいいのです。
ただ、神仏の通訳役を引き受けて、モンブランの万年筆で文字を製造しているだけのことです。
そうすることが、未だくらやみの感情とあかりの感情を交錯させて、喜怒哀楽の世界を造って生きているエルアンドジーグループの未決済の人々の問題を解決することにも繋がっているからです。
法律的には免責の身となった波 和二ですが、人間のプライドとして、免責ではなく、自分で稼いで未決済のお金を解決したいと思っているだけのことです。
この世は、死ぬことと妥協すれば、恐れるものは何一つないのです。
ただ、自暴自棄の気持ちでの開き直った行動は、間違いなくくらやみの人生です。

自分のことより、「世界中の人々と仲良くする」ことを念頭に置けば、神仏の通訳役にも生き甲斐を感じて、人類(未決済の人々も含めて)が、すべて億万長者となって、せめて、お金の苦労のない生活を生涯送れている神仏の創っている人間社会を、人間が作っている人間社会の政治家にそっくり真似て貰うためにも、庶民、大衆も、それなりの知識は持って頂きたいとペンを走らせ続けているのでした。


2008年5月13日 午前4時20分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


神仏の創っている人間社会と人間の作っている人間社会との比較(その17)

2008/05/23 11:45

<賞賛円天と消費円天>
国民は最低でも年利1億2,000万円(円=円天)の消費生活が保証されているわけです。
この円天を自分の利益にのみ使用するわけで、寄付行為や円天の譲渡は禁止されているわけです。人間は本来、平等の立場にあるわけです。親子といえども、夫婦といえども、また兄弟といえども同様の立場にあるわけです。憐みの心情から金銭を相手にあげるという行為は、自らを憐れむ乞食に金銭をあげるのと同じ行為です。乞食はプライドを棄てないことには務まらない職業(?)です。プライドを棄てるということは、人間を捨てて、人間動物として生きていくということです。
「人間は平等であるべき」なのです。平等の中から生まれる愛欲、性欲、その他の諸々の欲望こそ、人間に生き甲斐を与えているのです。

他人にお金を使う時、憐みの気持ちを混入させて使うのと、感謝の気持ちで使うのとは違うのです。

奇しくも人間として生れてきたからには、憐みの混入したお金は受取るべきではないのです。これは人間としてのプライドなのです。
現実問題として、お金儲けの為にこのプライドを殺して働いている人々は沢山います。だからストレス(くらやみの感情)が溜まって、それをどこかに放散しているのですが、多くの社会問題はこれが原因となっているのです。
1億2,000万円もの年収があれば、お金の為にプライドを殺すこともないのです。
今の文明社会では、自給自足では生きられない仕組みです。
自給自足をする必要のない、良い世の中なのです。
商店街に並んでいる商品は自分では作れないし、また作れたとしても、こんな定価では作れる筈のない商品ばかりです。

「だから、感謝です!」その感謝のあかしをお金で代行しているわけです。

それが、お金が無いと生きてはいけない!と錯覚させてしまうのです。本当は、ものがなくては生きてはいけないし、また愛情も性欲も諸々の欲望も、目的を達成するための生き甲斐があってこその楽しい人生なのです。
1億2,000万円もあれば、本当に自分を楽しませてくれる相手には、感謝の気持ちを込めてお金を払えるのです。
こんな値段、こんな金額では申し訳ない、という気持ちになってお金を払えるのです。
一方、お金を受取る側もお金に不自由していないわけですから、お金儲けの為に動くわけがないのです。
人から賞賛されるという行為は、本当に気持の良いものです。賞賛される味を味わえば、益々賞賛されているものを、相手に渡してあげたくなるのです。

これが賞賛円天と消費円天という発想なのです。

旨い寿司を喰べる人は感謝の気持ちを込めて消費円天を払い、寿司職人は寿司と交換に受取った円天は賞賛円天となるのです。
感謝と共に支払うお金は消費円天であり、それと同額の円天が、受取る側の賞賛円天となるのです。
全員国家公務員であるということは、必ず何等かの行為によって賞賛円天が相手から入ってくるわけです。
勿論、感謝されない国家公務員には賞賛円天は発生しません。
人類すべて億万長者の発想の中には、簿記学にある貸方と借方の考えが導入されているのです。
国民の中には、自己の持つ消費円天(1億2,000万円天)を大きく上回る賞賛円天の持主も出てきます。これは国家によって表彰されることになります。
反対に、大きく下回る国民も出て来ます。これ等の人々は人間としての再教育の必要があるのです。
本来、お金は感謝のバロメーターであるべきなのです。
探せば、感謝することはいくらでも見つかる筈です。
もし、これが無かったら!・・・と考えれば、いくらでも感謝するものを発見できる筈です。
この感謝すべきものにお金を使うのが、消費円天の正しい使い方なのです。
これを受取る側が、その金額が賞賛円天となるのです。
この賞賛円天の量で人間の価値が測定できるのです。
人生は「生き甲斐」です。個人個人に生き甲斐を感じる世の中を作っていくのが、総選挙によって政治が動く政治家の役割であり、その役割こそが政治家の「生き甲斐」でありましょう。有権者はそんな政治家を選ぶべきです。無ければ求めればいいのです。
「求めよ!さらば与えられん!」です。神仏の代弁者キリストの不朽の名言です。
「感謝するものに、消費円天を払う!」
「感謝するものを与えた人は賞賛円天を受取る!」
神仏の創っている人間社会では、この事を強烈に指導しているのです。この仕組みは、計算ソフトの発達している人間が作っている人間社会の企業でも充分に対応できる筈です。
「もし、・・・が無かったら?」と考えると、人間社会では感謝しなければならぬものばかりです。もし、水が無ければ・・・。もし、電気が無ければ・・・。もし、食糧が無ければ・・・。もし、車が無ければ・・・。もし、子供が居なければ・・・。もし、親が居なければ・・・。もし、友達が居なければ・・・。もし、恋人が居なければ・・・。もし、夫が居なければ・・・。もし、妻が居なければ・・・。もし、警察が無ければ・・・。もし、学校が無ければ・・・。もし、草花が無ければ・・・。もし、ペットが居なければ・・・。
その感謝すべき相手に消費円天を払い続けていたら、一体いくらのお金を必要とするでしょうか。
病気を治してくれた医者には、一体いくらの消費円天を差し上げていますか。
遭難事故を救ってくれた救助隊にはいくらの消費円天を払いますか。
歌手にはいくら払いますか。
お金はいくらあっても足りないのです。この足りない分を愛のエネルギーが補っているのです。
一人の人間の体は約60兆個の細胞で出来ているといわれていますが、1個が1円としても、60兆円です。
1億円が60万個分です。
60兆円もの値打のあるものを1日レンタルすれば、一体いくらの消費円天が必要でしょうか。
夫妻なら、お互いにいくら払い合いますか。
1億2,000万円天など、すぐに無くなって、お互いの賞賛円天に変わっていくわけです。愛があるから、愛のエネルギーがお互いに消費円天をかばい合っているのです。

いま、人類はこの感謝の気持ちを失っているのです。

神仏の創っている人間社会の人々も、人間の作っている人間社会の我々と五十歩百歩だったのです。それが、年間1億2,000万円天を消費円天として使用できるようになってから、「相手に感謝する!」という風潮が顕著となってきたのです。正に人間性の復活です。
これ等すべての賞賛円天に定価(消費円天)を付けて、世界的に統一していく機関が必要となって来ます。
カマキリの雄は、交尾の相手に目的を達成した後に自分が喰べられるのを承知でセックスをします。この消費円天は人間の世界では一体いくらに相当するのでしょうか。
喉が渇いて死にそうな時のコップ一杯の水に消費円天をいくら払いますか。
欲望が逓減する人間の気分のままに消費円天を強要する相手がいたら、消費円天がいくらあっても足りないし、また自発的に払うとしても、消費円天がいくらあっても足りないのです。
だから、国家がすべての行為に事細かく消費円天の定価をつける必要があるのです。
勿論、定価にも上、中、下の差は設けてあります。その中から消費円天を支払うことになります。
この賞賛円天と消費円天の個々の動きは、国家によって把握されていて、消費円天の使用ばかりが目立って、賞賛円天の極端に少ない国民は、人間として再教育を受ける仕組みとなっているのです。


2008年5月10日 午前7時28分
もう一人の自分と 波 和二
記事へトラックバック / コメント


神仏の創っている人間社会と人間の作っている人間社会との比較(その16)

2008/05/21 11:46

<世界の政治家の方々へ >
いつか、このブログを読んで貰える日がやって来ると信じているのですが、その日は今日から数えて何十日後でしょうか。それとも何百日後でしょうか。
その頃には、このブログ集も格段に進展していることでありましょう。
少なくとも、(その1)から(その15)までを読んでいただいたわけですが、マクロ的には何を感じられた事でしょうか。
金銭欲、物欲に対する政治のやり方が180度違う点に気付かれたとしたら、さすがです。

人間が作っている人間社会の政治は間違いなく「抑える」という方向の路線を突き進んでいるわけです。

「抑えれば抑えるほど」揉め事や争い事、裁判沙汰が増えているのは事実です。お金に関する犯罪も増加するばかりです。それでも懸命に法の力で抑え続けているわけです。抑えて、抑えて、公序良俗を保とうとしているのが、いまの政治であります。

一方、神仏の創っている人間社会は抑えることを止めて解放したのです。

この考え方は、欲望を抑えるから逓昇するのであって、欲望は解放すれば逓減する、という理論に基づいて政治が行われているのです。
このマクロ的視野を持って波 和二の通訳を読んで貰えば、正に目から鱗の政治家が輩出されることでありましょう。
有史以来、国民に充分すぎるお金を与えて政治をする政治家は誰も出てきておりません。
抑えるから、世の中に争い事が絶えないのです。
饅頭屋の職人の話を思い出して下さい。
人間に、生れながらにしてお金の苦労をさせない生活の中にこそ、人間本来の楽しみ、喜びが味わえるのです。
全国民に1億2,000万円のお金を貸し付けて、再び国家に預金をさせて、1億2,000万円分の年利を払い続けるやり方が、このような理論から誕生しているのです。
「心が変われば、人生が変わる」
「政治家の心が変われば、人類は変わる」
日本国を例にとって波 和二は通訳しているわけですが、何故か夢の中に出て来る映像は日本が殆んどです。
日本より知らぬ波 和二には、日本を見せた方が、比較がやり易い、通訳がやり易いと神仏が考えたからでありましょう。でも日本をサンプルとすれば、世界のどの国でも同じやり方です。
それは、世界の円天研究会で自国に合ったやり方を微調整して行って下さい。
政治が総選挙によって動く国であれば、神仏の創っている人間社会は実現出来るのです。

何故、人類をすべて億万長者として生涯を送らせる必要があるかについて、理解されたと思います。
国民は億万長者の生活が出来る事に不服を言う筈がないのです。
自由経済の名の下で、経済戦争の戦乱下にある企業、法人も、自分や従業員及びその家族が全員お金の苦労のない生涯を送れることが保証されるのであれば、戦争を放棄して平和を求めて、国営化されることに反対をする経営陣はいないと思うのですが、世界の政治家の皆様の考えを伺ってみたい気分です。

現在の政治を180度方向転換させる必要のあることを、「有権者が先か、政治家が先か」どちらが先に気付くかという問題であります。
勿論、円天研究会のメンバーの方々が真っ先に気付くことになるのですが、目的を達成するためには、自国の政治家やオピニオンリーダーも含めた国民全体を、この180度方向転換のマクロとミクロを解説してあげることから始まるのです。

実務的には、
国民一人一人の財産を特定する必要があります。
また、企業、法人の1株当たりの評価額を決定するという仕事もあります。
いずれにしても膨大な量です。
これを何ヶ月、何十ヶ月で終了することが出来るかです。
この作業が終了すれば、神仏の創っている人間社会をそっくり真似するのに加速がつくわけです。
国民に生涯1億2,000万円天の年収を保証してあげることから、新しい政治が始まるのです。
その為には、まず総選挙によって政治が動く国が連合して、180度方向転換を図る政治を行う必要があるのです。
波 和二の脳裡には、神仏の創った人間社会の情景が天然色を帯びて、立体感を持ち、活き活きと動いているのです。
人類でこれ程具体的に神仏の創った人間社会の情景を通訳出来るのは波 和二、一人でありましょう。

「人間のチエで考えられますか?」

全国民を全員国家公務員として、生涯に亘って月給10万円を出し、それを金利負担に廻させて1億2,000万円を国家から借りて、再びそれを国家に預金させると、年利が1億2,000万円天貰えて、死後は国家への借入残金を退職金と相殺してしまう。

こんな事を考えていた政治家はいましたか。各界のオピニオンリーダーはどうですか。国民(人類)はどうですか。

「誰もいない筈です。」

かく言う波 和二も夢の中で観えたから通訳しているだけです。然しながら、段々とミクロの点にまで通訳が行き届いていくのを自分でも体感していますが、何よりも驚いたのは、180度方向転換の欲望解放理論に気が付かされた事です。
歴代の政治家の誰もが成し遂げられなかった物欲、金銭欲の解放によって、真に人間らしい生活環境を作る条件が整った事になります。
勿論、これによって人類間の争い事は根絶できるわけではありません。
金銭面以外でも諸欲望が沢山あります。
これを抑えられたと本人が受取ると、そこから争いの種が芽生えるのです。特に誇り(プライド)の問題は人類にとって永遠のテーマです。
自分自身で決められるからです。「プライドが傷ついた」と勝手に考えて、くらやみの感情群を交えて行動に移すのです。
プライドは、個人の問題、家族の問題、仲間の問題、地方の問題、組織の問題、国家の問題と段々