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2008/05/23 11:45
<賞賛円天と消費円天>
国民は最低でも年利1億2,000万円(円=円天)の消費生活が保証されているわけです。
この円天を自分の利益にのみ使用するわけで、寄付行為や円天の譲渡は禁止されているわけです。人間は本来、平等の立場にあるわけです。親子といえども、夫婦といえども、また兄弟といえども同様の立場にあるわけです。憐みの心情から金銭を相手にあげるという行為は、自らを憐れむ乞食に金銭をあげるのと同じ行為です。乞食はプライドを棄てないことには務まらない職業(?)です。プライドを棄てるということは、人間を捨てて、人間動物として生きていくということです。
「人間は平等であるべき」なのです。平等の中から生まれる愛欲、性欲、その他の諸々の欲望こそ、人間に生き甲斐を与えているのです。
他人にお金を使う時、憐みの気持ちを混入させて使うのと、感謝の気持ちで使うのとは違うのです。
奇しくも人間として生れてきたからには、憐みの混入したお金は受取るべきではないのです。これは人間としてのプライドなのです。
現実問題として、お金儲けの為にこのプライドを殺して働いている人々は沢山います。だからストレス(くらやみの感情)が溜まって、それをどこかに放散しているのですが、多くの社会問題はこれが原因となっているのです。
1億2,000万円もの年収があれば、お金の為にプライドを殺すこともないのです。
今の文明社会では、自給自足では生きられない仕組みです。
自給自足をする必要のない、良い世の中なのです。
商店街に並んでいる商品は自分では作れないし、また作れたとしても、こんな定価では作れる筈のない商品ばかりです。
「だから、感謝です!」その感謝のあかしをお金で代行しているわけです。
それが、お金が無いと生きてはいけない!と錯覚させてしまうのです。本当は、ものがなくては生きてはいけないし、また愛情も性欲も諸々の欲望も、目的を達成するための生き甲斐があってこその楽しい人生なのです。
1億2,000万円もあれば、本当に自分を楽しませてくれる相手には、感謝の気持ちを込めてお金を払えるのです。
こんな値段、こんな金額では申し訳ない、という気持ちになってお金を払えるのです。
一方、お金を受取る側もお金に不自由していないわけですから、お金儲けの為に動くわけがないのです。
人から賞賛されるという行為は、本当に気持の良いものです。賞賛される味を味わえば、益々賞賛されているものを、相手に渡してあげたくなるのです。
これが賞賛円天と消費円天という発想なのです。
旨い寿司を喰べる人は感謝の気持ちを込めて消費円天を払い、寿司職人は寿司と交換に受取った円天は賞賛円天となるのです。
感謝と共に支払うお金は消費円天であり、それと同額の円天が、受取る側の賞賛円天となるのです。
全員国家公務員であるということは、必ず何等かの行為によって賞賛円天が相手から入ってくるわけです。
勿論、感謝されない国家公務員には賞賛円天は発生しません。
人類すべて億万長者の発想の中には、簿記学にある貸方と借方の考えが導入されているのです。
国民の中には、自己の持つ消費円天(1億2,000万円天)を大きく上回る賞賛円天の持主も出てきます。これは国家によって表彰されることになります。
反対に、大きく下回る国民も出て来ます。これ等の人々は人間としての再教育の必要があるのです。
本来、お金は感謝のバロメーターであるべきなのです。
探せば、感謝することはいくらでも見つかる筈です。
もし、これが無かったら!・・・と考えれば、いくらでも感謝するものを発見できる筈です。
この感謝すべきものにお金を使うのが、消費円天の正しい使い方なのです。
これを受取る側が、その金額が賞賛円天となるのです。
この賞賛円天の量で人間の価値が測定できるのです。
人生は「生き甲斐」です。個人個人に生き甲斐を感じる世の中を作っていくのが、総選挙によって政治が動く政治家の役割であり、その役割こそが政治家の「生き甲斐」でありましょう。有権者はそんな政治家を選ぶべきです。無ければ求めればいいのです。
「求めよ!さらば与えられん!」です。神仏の代弁者キリストの不朽の名言です。
「感謝するものに、消費円天を払う!」
「感謝するものを与えた人は賞賛円天を受取る!」
神仏の創っている人間社会では、この事を強烈に指導しているのです。この仕組みは、計算ソフトの発達している人間が作っている人間社会の企業でも充分に対応できる筈です。
「もし、・・・が無かったら?」と考えると、人間社会では感謝しなければならぬものばかりです。もし、水が無ければ・・・。もし、電気が無ければ・・・。もし、食糧が無ければ・・・。もし、車が無ければ・・・。もし、子供が居なければ・・・。もし、親が居なければ・・・。もし、友達が居なければ・・・。もし、恋人が居なければ・・・。もし、夫が居なければ・・・。もし、妻が居なければ・・・。もし、警察が無ければ・・・。もし、学校が無ければ・・・。もし、草花が無ければ・・・。もし、ペットが居なければ・・・。
その感謝すべき相手に消費円天を払い続けていたら、一体いくらのお金を必要とするでしょうか。
病気を治してくれた医者には、一体いくらの消費円天を差し上げていますか。
遭難事故を救ってくれた救助隊にはいくらの消費円天を払いますか。
歌手にはいくら払いますか。
お金はいくらあっても足りないのです。この足りない分を愛のエネルギーが補っているのです。
一人の人間の体は約60兆個の細胞で出来ているといわれていますが、1個が1円としても、60兆円です。
1億円が60万個分です。
60兆円もの値打のあるものを1日レンタルすれば、一体いくらの消費円天が必要でしょうか。
夫妻なら、お互いにいくら払い合いますか。
1億2,000万円天など、すぐに無くなって、お互いの賞賛円天に変わっていくわけです。愛があるから、愛のエネルギーがお互いに消費円天をかばい合っているのです。
いま、人類はこの感謝の気持ちを失っているのです。
神仏の創っている人間社会の人々も、人間の作っている人間社会の我々と五十歩百歩だったのです。それが、年間1億2,000万円天を消費円天として使用できるようになってから、「相手に感謝する!」という風潮が顕著となってきたのです。正に人間性の復活です。
これ等すべての賞賛円天に定価(消費円天)を付けて、世界的に統一していく機関が必要となって来ます。
カマキリの雄は、交尾の相手に目的を達成した後に自分が喰べられるのを承知でセックスをします。この消費円天は人間の世界では一体いくらに相当するのでしょうか。
喉が渇いて死にそうな時のコップ一杯の水に消費円天をいくら払いますか。
欲望が逓減する人間の気分のままに消費円天を強要する相手がいたら、消費円天がいくらあっても足りないし、また自発的に払うとしても、消費円天がいくらあっても足りないのです。
だから、国家がすべての行為に事細かく消費円天の定価をつける必要があるのです。
勿論、定価にも上、中、下の差は設けてあります。その中から消費円天を支払うことになります。
この賞賛円天と消費円天の個々の動きは、国家によって把握されていて、消費円天の使用ばかりが目立って、賞賛円天の極端に少ない国民は、人間として再教育を受ける仕組みとなっているのです。
2008年5月10日 午前7時28分
もう一人の自分と 波 和二
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