円 天 /波 和二

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help リーダーに追加 RSS あかり人生  基本篇(その3)

<<   作成日時 : 2008/06/11 11:45   >>

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「くらやみ撃退法」

人生を往くということは、沢山の人々(67億人)と同じ時代、同じ時間を共有して生きていくということです。
当然、そこに自分と第三者との関係が発生することになります。この第三者(配偶者、親、兄弟、友人、知人etc.)との関係が深ければ深い程、人間関係が様々の問題を運んで来るわけです。問題解決に相互の同意がある場合は、それでいいのですが、お互いの主張、意見が喰い違う場合も当然出てきます。
この時の自分をどう取り扱うかということで、場面は様々に変化してくるわけです。
あかり人生を往く者は、常に自分の取る方法は1つであります。
相手の意見に無理矢理屈服させられることは、絶対にあり得ないのです。
「我を通す!」のとは似て非なるものです。

意見が分かれたら、相手の好きなようにさせてあげるのが、あかり人生の基本中の基本なのです。

但し、それは成人レベルの相手に限定されます。
子供には躾けが大切なのです。躾け以外のことなら好きなようにさせてやればいいのです。
躾けとは、将来子供が身につけねばならぬ習慣常識のことであります。
あかり人生の達人の域に達すると、自己愛、名誉欲といった自分自身の為の望みはすべて無くなってしまうものですが、そこに到達するまでには相応の年月が必要でありましょう。
若い世代が、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」とは中々思えぬものです。
でも、この考え方をマスターする必要があるのです。
これをマスターした時に、世の中で恐れるものは何一つ無くなるのです。
この心境に達して、「世界中の人々と仲良く暮らしていこう」という気持ちになるのです。
それには、相手の言いなりになってあげるのが一番いいわけですが、相手の言いなりになってあげることの出来ない要求もあるのです。
こんな時は「エースの決め球」の出番となるわけです。
一つよりない自分の命を武器にして、相手を脅して撃退させてしまうやり方です。
然しながら、後味の良いものではないのです。
「あぁ、自分に力があれば、その要求を叶えてあげられたのに、今の自分の力ではどうにもならないのだ。済みませんねぇ・・・」
必ず、この気持ちを忘れてはならないのです。
「こんな自分の立場を理解して貰えないのなら、一つよりない自分の命を腹癒せに取っていきなさい!」
こんな気持ちを持ちながら、相手に啖呵を切るのです。
その啖呵の切り方には、能力差が出て来ます。
釈迦が虎や羅刹に切った啖呵は、さすがのものです。
波 和二も時々使う啖呵を紹介してみましょう。
「そこまで言っても判らぬのなら、俺の命(タマ)でも取っていって、一生刑務所で座っていたらどうかね!」
「君の要求は絶対に聞くことは出来ないよ!」
「・・・・・  ・・・・・」
「・・・・・  ・・・・・」
75才まで不思議と命を奪われることなく、生き続けているのです。
相手に、「済まぬ、俺の力が足りないから、その要求は聞いてあげられないんだよ」という、「自分が悪い!」というあかりの感情の中で、啖呵を切るのです。
「鵜の真似をする烏」という諺もありますが、波 和二と同じ啖呵を、くらやみの感情が混入した状態で真似をしてはなりません。
あかりの状態を保っているから効果が出るのです。
くらやみとくらやみの対決は、力の強い方が勝つのです。心にもない事を言っているのか、本当にそう言っているのか、脅しのプロは見破る力を持っているのです。
プライドを傷つけない配慮はテクニックではなく、真からあかりの感情で相手と接していれば、相手のプライドも傷つくことはありませんから、理性が働き、損得関係が計算できるのです。
お金を取り立てに来たのに、相手を殺して自分も刑務所に座っている損な方法は選ばないのです。
「命ならあげるぞ!」と顔色一つ変えずに言われたら、これは脅しは利かない、と判断して退散するのです。
生兵法は大怪我の元といいますが、決してテクニックだけで波 和二の真似をしないで下さい。
震えながら、顔面蒼白で「命ならあげるぞ!」と言ったところで相手に見透かされてしまうのです。
だから、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」ということを普段から訓練しておく必要があるのです。
それには、顕在意識と潜在意識を使った自己催眠から始めるのですが、催眠術とは顕在意識が同意するから、潜在意識もそれに応えるのです。
即ち、顕在意識が無抵抗になれば、術師の言うがままに動くのです。
自己催眠は、自分で自分の潜在意識に自分の顕在意識で働きかけるのですから、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」と顕在意識が真から思い込まなければ効果がないのです。
自己催眠とは、顕在意識の強化なのです。
初心者のうちは、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」と語りかけても、一方で「いま死んでは困る!」という考えも浮かんできます。
それを術師のように、「自分はいつ死んでも仕合せだ!」と言い聞かせるためには、「いま死んでは困る!」という顕在意識を取り除いてしまわないと駄目なのです。
自分が自分同志で闘うのです。「いつ死んでも仕合せだ」「いま死んでは困る」この闘いを3年間も続けると、段々と本当にその気になってきます。「あの時死んでいても不思議ではないのに、今も生きているということは余禄のようなものだ。もういつ死んでも仕合せだ!」
といった具合に、自分で自分が納得するようになってきます。
そして、「どうせ死ぬならいいことをして死んでやろう!」という気分になってきます。こうなればしめたもので、段々と純粋なあかり人生を歩めるようになってくるのです。


2008年5月27日 午前5時35分
もう一人の自分と 波 和二

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